2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

建築雑誌2012年1月号ブレスト会議

20110726 Tue. 昼間、大学に京都工繊大のNさんと成功大(台湾)のKさんが訪ねてこられ、台湾の都市研究についていろいろ意見交換。16時過ぎに田町へ。ここんとこ週に2回くらい田町行ってる気がする。田町遠い。 18:30頃から10時過ぎまで建築雑誌2012年1月号…

「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」完成

表記ウェブサイト、第1区の集落を公開しました。これで収載集落数は207となり、ひとまず目的のサイトが完成したことになります。作成にあたった石榑・山内・村上・肥後の皆さん、お疲れさまでした。 このサイトの特徴は、空間的・環境的まとまりをもった集…

大江新太郎の流れを汲む

2011.07.23 Sat. 理科大の田中傑氏と2人で町田へ。1917(大正6)年生まれ(現在94才)、戦中期の内務省神社局に奉職し、戦後も神社造営の中枢にいたK氏にインタビューさせていただいた。吉野は上市出身のK氏は、小学生の頃、おがくずの山で遊ぶのが楽しいか…

デザイナーとの打合せ/都市計画遺産研究会

2011.07.22 大学に寄ってから田町へ。会誌『建築雑誌』後半モノクロページのウェブ移行につき事務局と打合せ。つづいて2012年1月号よりデザイナーをお願いする中野豪雄氏と制作をお願いするメディアデザイン研究所のKさんと打合せ。中野さんは勝井デザイン事…

「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」第2区公開

表記ウェブサイト、第2区の集落を公開しました。残すは第一区のみ。あと一息です。

書評・牧紀男『災害の住宅誌 − 人々の移動とすまい』

『新建築住宅特集』2011年8月号に、牧紀男『災害の住宅誌 − 人々の移動とすまい』(鹿島出版会、2011)の書評を寄稿した。同書で示唆されている、日本の “戦後史(という激動)” と “災害(の空白)” とのある種の「めぐりあわせ」という問題について書いて…

「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」第4区の集落を追加

当研究室が作成している表記ウェブサイト、第4区の集落を追加しました。履歴ページをご覧いただくと、これまでの作成の経過がお分かりいただけます。現在の収載集落数は134となっています。 7月16〜18日は公務出張にて台北。国立台湾科技大学設計学院と明治…

建築雑誌編集委員会始動

7月11日、第1回編集委員会を開きました。 日本建築学会の会誌『建築雑誌』の編集委員長をすることになり、この間いろいろな準備に追われていましたが、第1回の委員会を無事に迎えることができました。委員会構成は29名。非常に幅広い分野、所属、地域の方…

M1肥後伯子、コルドバのカテドラル(旧メスキータ)の研究で日本建築学会優秀卒業論文賞受賞。おめでとう。

学会HPにて選考結果が掲載されています。当研究室のM1肥後伯子さんによる下記研究(2011年1月提出/明治大学徳永賞受賞)が優秀卒業論文賞を受賞することになりました。 肥後伯子『La Mezquita de Córdoba − 拡張と改造の痕跡としての接合部に見る保存・置換…

中央防災会議・専門調査会で、明治大学建築史建築論研究室「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」が引用されています。

中央防災会議(災害対策基本法に基づいて設置された重要政策に関する会議で、内閣総理大臣を長とし、内閣府に事務局を置く)の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会(第5回)」の記録・配布資料がこのページにアップされた…

筋肉痛

6月29日(水)18:00、博士課程の石榑君が法政大のN君と先週末に三陸海岸の漁村を見て回ったというので急遽報告会をした。理科大の田中傑さんが駆けつけてくれた。まわった範囲はウェブサイト「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」でいえば岩手県…