2008-01-01から1年間の記事一覧
地政事務所で植民地期の登記簿を繰ってはメモをしているうちに体調がおかしくなる。朝から胃のあたりが差し込むように痛いし、昼頃から徐々に身体が重くなり熱っぽくなってきた。本当は明日は中部の竹産業の中心である南投県竹山鎮へ移動して調査をつづける…
1230 Tue. 調査5日目は台南県白河地政事務所を訪ねる。地政事務所は不動産に関する行政事務を扱う役所で、土地の測量、地籍図の作成管理、土地や建物の登記、地価査定などを行なっている。以前に彰化という都市を調べたときは地籍図(公図)を主たる資料とし…
8月の調査最終日に白沙崙にいた我々と横を通りかかったSさんとの約束で、二仁渓を彼の船で遡る。彼は筏協会のリーダーで、この川の環境改善のための運動を率いて奮闘してきた人。我々が調べている竹市がかつて開かれていた川岸の広場は、やがて竹市が開かれ…
調査2日目は曾文渓の河口にほど近い西港へ。この河に上流で注ぐ菜寮渓の流域(左鎮)ではすでにインタビューをしたことがあり、10mほどの竹の束をつないで1km(長いものでは3Km)という長大な筏を流すのを毎年見たという証言を得ていたが、これを下流で確認…
朝6:30発の高鐵(台湾新幹線)で台南へ。馴染みのドライバーSさんのタクシーで白砂崙へ。台南県と高雄県の県境を流れる二仁渓の河口付近(高雄側)。かつて竹の市場が開かれていたところだ。8月の調査最終日に得た情報を頼りにTさんを訪ね、幸いにもインタビ…
昨日(23日)夜、台北に到着しました。今回は1月4日までの滞在。 昨日は、実は16:30成田発の便なのに16:20空港着のバスに乗っていることに車中で気付いて大慌て。僕は出発直前までバタバタしていたのですべて奥さんに任せていて、バスを予約したのも奥さん。…
今回は都市の破壊を題材とした。関東大震災(震災・火災)、第二次世界大戦(戦争)、そして高度成長や規制緩和だってある種の都市破壊であるから、日本の都市はほとんど20年に満たないピッチで破壊を繰り返し、そのつど再生してきたことになる。 災害復興に…
ルネサンスの建築家アルベルティは、草むらを歩く人の顔は緑がかって見えるが、それは絵画では再現してはならないと言った。レオナルド・ダ・ビンチは事物の陰影は状況によって様々な色を呈するが、“真実の陰影”とは物体の固有色に黒を混ぜたものであると言…
研究室のメンバーともなんかもう長い付き合いな感じがしてきたなあ。今日は博士課程、M2、M1、4年生、そして次年度の配属が決まっている3年生、うちの家族も参加して総勢20名ほど。奥さんが会場にて煎包をつくる(好評)。我々が帰った後、某博士課程の方が…
(写真は記事と関係ありません) ちょっと前の話だが、11月28日に藤森照信先生の研究室にお邪魔して、ある図面を拝見させていただいた。残念ながら御都合に合わせることができず先生はご不在であったが、研究室のBさんとNくんに立ち会っていただいて2m四方ほ…
郊外の問題を考えるには、多少回り道になっても、産業化時代に都市が経験した新しい局面を理解する必要がある。というわけで、産業革命期のイギリスの都市生活誌を紹介。この時期のイギリス都市についてはエンゲルスのものをはじめとして膨大な記録があり、…
やはりノドの具合が万全でなく、90分講義は危険なので、今日は授業時間内で小課題を出すことにした。 おおむね16世紀と17世紀の実例のなかから、身廊部、ドーム見上げ、ファサードの写真を対になるように与え、その表現上の特質について差異を摘出して対比的…
国立歴民族博物館のシンポジウム「アジア比較建築文化史の構築−東アジアからアジアへ−」に出かけてきた。12月6日(土)、7日(日)の2日間の日程だが、僕は1日目だけの参加。テーマがテーマだけにスピーカーもコメンテーターもよく存じ上げる方ばかりだが、…
昨日は、藤森先生の活写する東京計画のドラマを喋っているうちに熱が入りすぎてしまったようで、授業前から違和感のあった喉がどんどんかすれ、ついに声が枯れてしまった。 授業後は、かつて煉瓦街のつくられた銀座にて大学同期の3人と忘年会。彼らの職場は…
1204 いよいよ近代。 まずは松山恵さんの研究(たとえばコレ)にもとづき如何にして江戸が首都となったかを概観。考えてみると、実は三都が首都機能を分掌していたのだということも、また大名たちが地方を経営していた時代の徳川の政府機構がいかにコンパク…
1203 ルネサンスの要点は、まず古代(antiquity)が古典(classic)として発見されたことにある。現在は、典拠としての古代の再生として位置づけられ、両者の「あいだ」の空隙が中世とされる。これは時間のデザイン(歴史)に他ならない。時間というものは、…
玉井哲雄先生の『江戸〜失われた都市空間を読む』(平凡社、1986年)はホントに面白い。僕の大好きな本のひとつ。土地と建物が社会を織り込んで形態化されるダイナミクス、そしてそれが無意識の内にのちの都市を決めてしまう微弱で強固な規定力が平易に解き…
まずゴシックについて補足を2点。 ひとつはコルドバのメスキータ=カテドラルについて。切妻屋根の反復による工場のごときモスクのホールを食い破って、フライングバットレスを持つ聖堂本体が屹立する。大聖堂はリブヴォールトを持ち、後のバロックの要素も…
1125 Tue. 10年越しの借金(宿題)を返すために大阪へ。いくつか見なければならない建物をレンタカーで巡る。坂倉建築研究所設計の箕面観光ホテル、旧枚岡市庁舎(現東大阪市旭町庁舎・旭町図書館ほか)、府立阪南高校など、それと渡辺豊和のオッパイハウス…
白井晟一が「縄文的なるもの」の文脈で言及した(新建築195608)あの江川家住宅を、先日所用の折に見た(1116 Sun)。やはり方七間の漆黒の土間は大きく深かった。苦塩の疎密が長年人に踏まれて生み出す三和土の凹凸を、中川武先生は光の具合によってビロー…
日本の多くの都市に、近代の機能主義的ゾーニングですら依拠せざるをえない先行条件としての土地利用パタンがある。それが城下町の身分制ゾーニングだ。先日、古建築実習で学生を引率して一週間旅行をしたが、姫路城の天守から見下ろした市街地は、かつての…
1119 修論より3本。Kさんの70年代住宅論、Mさんの映画都市論、Iくんの渋谷研究。どれも面白くなってきた。僕もかなり勉強させられている。 Iくんの作業でかなり明らかになりつつあるのだが、坂倉事務所のあの独特の仕事の拡がりは、戦中期にその根がある。つ…
第7回(前回)、教会堂とモスクの比較をやったが尻切れ気味だったので再度まとめ直し。その上で、「どちらがより“一神教の空間”にふさわしいか」という問いを学生に投げて挙手させてみたところ、モスクの圧勝であった。なぜならモスクは、絶対的超越性として…
昨夜(1114 Fri.)は学会の法人組織基本問題検討委員会のため田町へ。すると建築会館からぞろぞろと出て来る一団のなかにF野先生を発見してしまい、あちゃーと思っているとそのなかに博士課程時代の同期である麻里さんがいるではないか! 病気で苦労していた…
西アジアでは余剰の社会化過程が都市を発達させ都市国家を生み出すのに対して、東アジア(少なくとも日本)では王権が都市という仕組みを導入した。権力はその機構が大きくなればなるほど商工業者を組み込まざるをえなくなる。古代権力はいちおう国家を一元…
第2回で中沢新一にならって掲げておいたヒトの3つの革命を思い出そう。第3の革命はモーセの革命(3千年前)だった。これは建築に決定的な目標を与えたはず。モーセの前に現れた神は、アニミズム的な精霊でもなく、多神教的な神でもなく、表象を禁じる絶対…
20081107〜09 研究室のメンバーと群馬・栃木を中心に近現代建築を見て廻る。 A・レーモンド/群馬音楽センター(1961)see photo album
1105 『日本統治下の海外神社―朝鮮神宮・台湾神社と祭神』(弘文堂、2004)の著者、菅浩二さんとは、僕が海外神社研究をはじめた頃にある方にご紹介いただいて以来の旧友。たぶんもう10年になるんじゃないだろうか。彼はその後3年間ハーバードのライシャワ…
都市以前から都市を分けるもの、つまり都市性とは何か。結論からいえば、今のところ日本では王権の成長が統治機構の一部としての中国都城(外来モデル)を要請したことに都市のはじまりをみるのが学界では妥当とされているよう。しかしそれ以前の大規模集落…