書評・牧紀男『災害の住宅誌 − 人々の移動とすまい』

 『新建築住宅特集』2011年8月号に、牧紀男『災害の住宅誌 − 人々の移動とすまい』(鹿島出版会、2011)の書評を寄稿した。同書で示唆されている、日本の “戦後史(という激動)” と “災害(の空白)” とのある種の「めぐりあわせ」という問題について書いている。1940年代に終わった「前回」の地震活動期と、1990年代からの「今回」の地震活動期との「あいだ」に日本は極端な高度成長を謳歌した。「建物の構造技術が変わり、建築生産はすっかり産業化・商業化され、資本の運動を抑制しつつ誘導する諸制度が編み上げられた。都市の貧困は解消し、借家住まいは減って圧倒的に持家層(所有者=消費者)が増えた。インフラの整備が進み、河川も砂浜もコンクリートで固められた。この間、大規模な災害がほとんど経験されなかったのである。日本社会の災害観が変わらないはずはない。」(拙評より)
 私たちはこうした歴史の産物である私たちの災害観を相対化し、再構築していく必要がある。災害とは自然現象によって引き起こされる社会的な事象のことであり、ゆえに文化的なものである。自然現象という入力に対する、社会という系の出力が災害なのだから、災害は系の構造に依存する(こういう考え方に馴染みのない人は是非グレゴリー・ベイトソンを読んでください)。つまり私たちの社会や文化には災害への反応のマトリクスが組み込まれていると考えた方がよい。それは江戸の都市が火災を組み込んだ社会経済的機構を備えていた事実や、今和次郎がスケッチしたように関東大震災後に東京の人々がブリコルール的な事物との関係構築能力(バラックの制作)を発揮した事実からも推察できるし、またそれがいかに歴史的なものであるかは、阪神淡路大震災ではバラックがほとんど建たなかったことを見れば明らかであり、つまり現在の日本社会はかつてとは異なる災害への応答のマトリクスを自身のうちに刻み込んでいるのである(なぜ建たなくなったか、という問いは戦後史を理解するうえでよい「例題」になると思う)。そういうわけで、私たちの災害観を考え直すことは、実は私たちの文化(そこには住まいや都市のあり方も当然含まれる)を批判的に組み直す運動であるほかないだろう。ぼくの関心は、そういう運動を後方から支援できる建築や都市をめぐる知の運動とはどんなものかということだが、先学はたくさんいるし、ぼくたちも(おそらくは歴史という系譜的世界の導きによって)すでにそうした運動を静かに、しかし広範に準備しつつあったのではないかと感じる。牧さんの本もまた、私たちがその内にあるほかない歴史的時間の、ひとつのメルクマールだという気がする。
 正直なところ、もうちょっと事例のリアリティにぐいぐい迫ったり、思考をがしがし突き詰めたりという部分での迫力が欲しいと思ってしまうのだが、でもあのフットワークの軽さが牧さんの持ち味だからね。