技術について/昨日の追補と今日のシンポのこと

昨日、「ナイーブ」の話、つまり諸条件へのリテラシーの繊細化というのは、要は諸要素間の関係性の読み書き能力の高度化であり、つまりは生態学的な視界の共有化であろうと話が展開したのだが、特集『ナイーブ・アーキテクチャー』の冒頭対談では中谷礼仁さんがそうしたリテラシーは容易にイデオロギーに転化しうるのだと強く釘をさしている。僕はそれを読んだとき、こういうのが編集の醍醐味だなと思ったことを記憶している。どんな「問題」にもレンジと階層性があるが、それを押さえないとそれこそナイーブになってしまう。僕はこの種のことは近代の神社の研究をしてきたおかげでそれなりに自覚的で、中谷さんにとっての国学宣長)は、僕にとっては角南隆や上原敬二だったりする。そんなやりとりをしていたら、中谷さんから大正期の「怖さ」という話があった。近代技術が国家官僚制と結びつき都市と生活の統制を強めようとしたとき、それに対して、芸術、生活、村、自然・・・といったものへの視線=思想が先鋭化する。それが次にどうイデオロギーに転じてしまうかも試される。
神社の森などは、都市化の趨勢のなかで、生態学に裏付けられた造林の技術が、反技術的な思想こそをつくる(近代的技術が支持する自己再生産可能な森を、本来の自然にすりかえてむしろ神社イメージを強力に支える論理へ転換してしまう)という捩じれた関係にあるが、いずれにせよ個人や集団の先鋭化した身の振り方と体制への回収といった動きが浮き彫りになる時代は怖いという、そんな話ではあったかと思う。飲み会では山本学治と神代雄一郎の話が出た。誤解を恐れずにいえば神代は技術と政治に対してナイーブ過ぎたためにそれらに対する批判が激烈さを増した。山本は技術に即して社会と表現を見ていく立場を獲得していたのでインテリゲンチャの社会批判が無力であることを若くして悟り、つねにクールに状況に寄り添いながら批評的立場を保持しつづける安定感がある一方で思想が際立たない。
 ところで今日(20111217 Sat)は日本建築学会都市史小委員会のシンポジウム(都市と表象シリーズ)「技術〜その公用と限界」に参加のため東京大学に来ている(僕はコメンテーター)。「技術」というのはとても興味深いテーマだが、「建設技術のみならず、都市の様々な事象を背後で支える体系を広く技術ととらえ」る、とされているため政策技術・社会技術・計画技術・調整技術などを扱った報告が多い(さらには儀礼とか身体の所作みたいなものまで技術として語ることは可能)。公権力の技術に対して、民間の対応の技術もあれば調停技術もある。都市史研究はつねにこうした意味での技術を扱っているのだから、このレンジの「技術」をキーに掲げても通常と異なる論点が必ずしも明瞭に迫り出すわけではない。もちろん、『監獄の誕生』のフーコーのように一定の社会的編成の実現手段の束として「技術」を意識的に取り扱うだけで見え方はそれなりに違ってくるだろうし、片山伸也さん、松山恵さん、李キールンさんの報告にはそうした見方をうかがうことがえきた。けれど、技術という視座から迫り出してくる都市史の新しい様相、ということになると総じて弱かった。技術の魔物性みたいなものをどうやってえぐり出すかというのがひとつの鍵か。僕も考えないとな。