砂本文彦氏の「学界展望・日本近代都市史」/都市史・都市論の基本問題について

もう1ヶ月以上前になると思うが、建築史学会のジャーナル『建築史学』が送られてきて、すぐさま砂本文彦氏の「学界展望 日本近代都市史」(『建築史学』55号、2010年9月)を拝読した。かなり思い切った研究状況の整理がなされており、緊張感をもって興味深く読ませていただいた。以下、いささか手前味噌というか我田引水というか自分でもよろしくないと思うのだが、感想のようなものを書かせていただく。
砂本氏のレヴューは、「計画/非計画」のあいだに生起する都市の自己組織化への視座、主として大衆消費の観点から都市変容の力に迫る文化史・風俗史的な視座、そして地方都市研究の精力的な拡充・蓄積、都市史通史の可能性、都市計画を相対化しつつも主体的創造の契機として捉え直す新しい都市計画史の動向、といった広がりに眼を配っている。そのすべてにわたって重要になるだろう基礎的問題は、都市史の「主語」をどう設定するかである。都市はそこに参画する無数の人々や組織によって動いているが、これまでの研究史は煎じ詰めればそのどれに「主語」を定めるかの交替劇だった。もちろん、どれを「主語」としてもよいのだが、都市史を志向するかぎりにおいて、その「主語」が〈都市〉とどう関わるのかという問いは残り、結局のところ、〈都市〉をどう捉えるかという問いはついてまわる。
砂本氏は『10+1』藤森照信特集所収の拙文「多くはうたかたに消え、いくつかは生きて地に降り:都市史の主語は何か」(2006)と、拙著『彰化一九〇六年』アセテート、2006)をレヴューの冒頭で引いてくださっている。何だかおもはゆいが、この二つは同じ時期の文章で、どちらも上記の問いを何とかしようと思って書いた。そういう関心は1999年頃からの台湾での街歩きでゆっくり醸成されていたものだが、2005年4月の「千年持続学フォーラム:都市の血、都市の肉」(企画:中谷礼仁)が決定的なきっかけになって少なくとも問いの輪郭がはっきりした。その後も同じことを考え続けているので、今は『彰化』のときとはかなり違った理解になっている。
さて藤森照信『明治の東京計画』についてだが、同書は刊行以来たいへんな称賛が送られるとともに、「近代化」がもたらした「歪み」への視点を欠いているという批判がなされてきた。砂本氏はこういう批判の視座そのものを相対化した文章として拙文を紹介してくださっている。(僕の理解でいえば)初期の都市計画史研究がその「光」の物語=成功譚であったのに対して、「陰」(都市計画がもたらす歪みや矛盾)をあわせて抽出することでバランスをとろうとする修正的言説にとどまるものは、依然として都市計画史・政策史から出ていない。ひとことでいえば(肯定的であれ否定的であれ)テクノクラートが主語なのだ。この意味で『明治の東京計画』は特別な意義を持つのである。藤森先生はテクノクラート支配が確立する「以前」にあったダイナミズムをこそ活写しているからだ。つまり都市がまだそこに参画しようとする者たちの関係のありようを固定していない状況、何が「光」なのかも決定できない、偶有的な場である。
藤森先生の本から僕が学んだのは、この偶有性を消さない物語の描き方である。『明治の東京計画』では、読み進むにつれて複数の「主語」が次々に交替と復活を繰り返すのだが、それは(藤森先生ご自身がよく言われるように)その時代の当の「現在」に立って描くことでもある(事後から書けば「光」は決まっており、補完的に「陰」も抽出されてしまう)。もうひとつ、実はこの本を読み進めると、物語の終結の直前になって、それまで複数の「主語」がそこに向かって夢を投げ込んで闘争していたところの〈都市〉、もっといえば彼らの夢を取捨しながら自らに書き込んでいくような、いわばアーカイブとしての〈都市〉がのっそと顔を出す。この瞬間は薄ら怖い。しかもそれは彼らよりずっと以前から生き続けてきたものなのだ。
この〈都市〉は、都市に参画するあらゆる者の行動を(無意識のうちに、部分的に)律し、彼らの経験をまた(取捨しつつ)蓄積していくような母体(マトリクス)みたいなものではないかと思う。そういう〈都市〉を、藤森先生は直接は描いていないけれども、強く暗示しているように僕には思われる。少なくとも、そういう〈都市〉を措定しておかないと、司馬遷のようなあの歴史活劇の登場人物たちが過ぎ去った後には、何も「地に降り」ていないことになってしまう。
そして、1920年代以降、つまり佐野利器的な近代福祉国家的な視線がヘゲモニーを確立した後を見る場合でも、こうした偶有的な場を支えるマトリクスとしての〈都市〉をつねに理論的に保持しておくことが、都市論にとって不可欠だと僕は思うようになった。〈都市〉というマトリクス=アーカイブは、当然ながらつねに過去の集積であり、なおかつつねに書き換えに対して開かれている。たしかに近代国家はそれを福祉の名の下に独占しようとするが、それはどだい不可能な話だし、むしろ国家は都市形成に関する役割を資本や市民と分担するので、マトリクス=アーカイブとしての〈都市〉は、官僚・企業・市民といった「主語」のいずれにも回収されない。一方、戦災後の都市の状況など一見まったくのカオスに見えるかもしれないが、実は〈都市〉=アーカイブは強力に作動し(平時と違うのはどんな情報がどう読み出されるかである)、かつ、そこでの新たな経験を書き込んでアーカイブ自体がアップデートされる。
こういう基礎的な視座のあり方については、もっと広く議論されていいと思う。僕はこの種の議論は決してたんなる観念のもてあそびではないと思うし、不毛でもないと思う。むしろ、それなしには都市論も都市史も成立しないのではないか。
たとえば砂本氏は、レビューに先立って、建築・都市計画畑からの近代都市史研究が、歴史まちづくりという「現場」への接続を広く持ち始めて実学的期待にさらされていることを指摘したうえで、近世都市と近代都市とが大きく異なることに注意を喚起している。時代の「全体性」を表象しうる一定の「様式」「デザインコード」で統御された近世都市に対して、近代都市は、近世のストックとその編成パタンを継承しつつ、それを資本の動きに沿って流動化し、断片化してゆく。だから様式とかコードとかを提示するやり方では近代は捉えられない。《歴史まちづくりに近代都市を担ぎ出すな、というのではない。デザインコードに頼らなかった近代都市は、近世都市とは異なる手法で見せていく必要があり、これを前提とした研究状況を用意しなければならないのではないか、と考えているのである。(p.95)》 つまり砂本氏がいう近世と近代との異質性は、(近世と近代は断絶しているか否かといったレベルの問題ではなく)都市空間秩序の時間的振る舞いが近世と近代とでは違うということだ。
僕が考えているマトリクス=アーカイブとしての〈都市〉は、端的にいえば、このダイナミックな持続・変容の様式を律する情報の束のことである。砂本氏の近世/近代の対比は、近世(近世後期かな)ならば共時的な構造的理解で足りるという誤解を生みかねない面があるが、当然ながら非常に安定して見える近世後期にも相応のダイナミックな振る舞いの様式が見いだされなければならない。そして、近世のそれが、いかに近代に引き継がれ、また変形されていくか、という議論が(一段上のレベルの問題として)成立しうるだろう。もちろん、こうした議論に動員しうる個別研究の蓄積が必要なことは言うまでもないが、これからの通史なり比較史なりは、この水準に届く構えをとらなければならないと思う。

砂本先生、拙著を積極的に位置づけてくださりありがとうございます + 乱暴な感想をお許しください。