綾里プロジェクト2014:大船渡市綾里にて昭和三陸津波後の「復興地」の家屋調査
報告遅くなりましたが、2014.08.26〜08.30の5日間(実質的な調査期間は4日間弱といったところ)、岩手県大船渡市綾里の各集落にて大変有意義な調査をしてきました。首都大学東京の饗庭伸先生を代表者とする科研費のプロジェクトで、災害や復興の経験を含む地域の歴史・文化を後世へ継承するローカルでスペシフィックなアーカイブをつくることを試みるのですが、空間チームの私たち(青井および当方の研究室メンバーと、東大の岡村健太郎さんを中心とするチーム)は、まず昭和三陸津波後に高所を造成してつくられたいわゆる「復興地」に建てられた家屋の調査を行っています。
[fig.01]これは港地区の俯瞰。中央の道を進んでいくと、岩崎地区。
[fig.02]そのなかに例えばこんな家屋があります(写真は2011.09.07)。昭和三陸の復興地に建てられた家屋の典型例。もちろん気仙大工系の棟梁の仕事。こうした家屋が綾里の各地区に残っています。
1933(昭和8)年の津波後、壊滅した低地(原地)にすぐさま家屋を再建した人々がやがて完成した造成地に徐々に新しい家屋を建てて移っていったのですが、早いもので1935(昭和10)年竣工の家屋がある一方で、遅いものでは1960年代に建築した例もあり、この間にそれぞれのタイミングで建築したらしいこと、国の復興政策はトップダウン型だったことは間違いないが一方で個別家屋の建築は建主が信頼できる大工に個別に頼んでおり多様性があること、被災家屋の使える部材を使った例や、既存の家屋を解体移築した例などが少なからずあること・・・などが分かってきて、昭和の「復興」に関する私たちのイメージはどんどん相対化され、色鮮やかに塗り替えられていきました。
[fig.03]これは綾里の田浜地区の例(写真は2011.09.07)。
[fig.04]同じく石浜地区。右手が1937(昭和12)竣工の例。
[fig.05]我々素人同然の集団ではありましたが、できるだけきちんとした実測を目指しました。小屋裏にも上がらせていただき、棟札もチェック! 写真は棟束に打ち付けられた棟箱。このなかに棟札だけでなく実に色々なモノが入っているのであります。
そして小屋組をみると・・新材と古材とが混用されていますね。古材は昭和三陸津波で流されずに残り、いったんは低地での再建に使い、さらに復興地での建築に使ったそうです。おおっー感慨深い・・。
[fig.06]田浜の例ですが、左の家の軒裏に注目。民家なのに隅扇垂木であります。気仙大工!
[fig.07]これは・・・1941(昭和16)に建てられた当初小屋組と、戦後1955(昭和30)年に一部取り壊して建て替えた部分との取り合い。
[fig.08]あるお宅ではお昼をご馳走になり、その後、学生達が実測を続けるなか、僕は朝ドラの再放送をご夫妻と一緒に見ました。「花子とアン」どうですか?と聞いたら「うーん、ま、そごそごダネ」と手厳しい批評・・というか僕も賛成。あ、そういえばこのお宅では写真家の山岸剛氏が三脚をセットしシャッターを押すところを初めて見た。
私たち10人くらいだったのですが、メンバーを臨機応変に組み替え、動かしながら、部落長さんはじめ地域の方々への挨拶・趣旨説明、実測と聞取、さらには古老や専門家へのインタビューに走り回り、毎日ヘトヘト。4日弱で10棟の実測・聞取データを得ることができました。本当に充実の調査でした。いや、ヘトヘトなどと偉そうな書き方をしましたが、実際はたくさんの方々に次々にお膳立てやら紹介やらをしていただいたのです。調査先のお宅でも本当によくしていただき、実測が終わって失礼する段になると名残惜しくて涙が出そうになります。色々な気持ちをビシバシいただきました。ありがとうございました。また必ず参ります。
[fig.09]寝泊まりさせていただいた仮設住宅の一室。
[fig.10]初日の夜のミーティングの様子@仮設住宅の集会所。筑波大の木村周平先生がおられます。皆様たいへんお世話になりました。責任もってきちんとまとめましょう。