西洋建築史06/アーチ系技術の展開〜ローマからビザンチンまで

古代ローマの建築生産上の大きな特徴はコンクリートを大々的に用いたこと。ポゾラナ pozzolana と呼ばれる土(火山岩が砕けてできたもの)に、石灰と水を混ぜ、骨材として石や煉瓦の砕いたものを加えて突き混ぜれば水中でも凝固する。で、この話をすると服部長七が発明した明治期の「人造石」を思い出さずにはおれない。花崗岩(火成岩の一種)が砕けてできた真砂土(まさつち)に消石灰と水を混ぜて突くと凝固するというもので、宇品港(広島)とか明治用水の堰(愛知)といった華々しい業績で分かるとおり水中で硬化して信じがたい強度と耐久性を発揮するのだが、鉄筋コンクリートの普及までの過渡的な「代用技術」というやや貶められた位置づけに甘んじている。実はこれ、日本では昔からおなじみの「三和土(たたき)」という土間を固める技術の応用で、実際「長七たたき」とも呼ばれた。で、いま書いた製法はローマン・コンクリートのそれとよく似ていることにお気づきだろう。僕は専門家じゃないのでいい加減なこと言うとマズイかもしれないが、古代ローマのコンクリートと三和土は親類なのかもしれない(長七たたきについてはINAXの技術者たちが科学的に研究されたことがあるので興味ある方は当たられたし)。
それはともかく、乱石や煉瓦を積んで型枠とし、コンクリートを充填して型枠ごと建築化してしまう方法を古代ローマ人はとった。つまり古代ギリシアまでの建築物をつくっていた巨大な石塊ではなく、はるかに小さな部材とゴツゴツ、ドロドロのものとで巨大な構造物をどんどんつくった。彼らはコンクリートでアーチをつくり、その展開・複合の系列的発展によって高く広い三次元的な内部空間を生み出していく。それをさらなる到達点にまで高めるのはビザンチンで、課題は柱4本でできた正方形平面のベイにどのような上部架構をつくるかであった。ビザンチンの成果は、やがてロシア建築の独特な表現を生み、またビザンチンを滅ぼしてトルコに君臨したオスマン帝国によってモスク建築に取り込まれていく。
来週は(今回は説明を省いて話を進めたが)宗教そのものに迫りつつその建築的形式化について考えることにしたい。ローマ帝国によるキリスト教公認後、教会堂建築がいかに組織されていくか。同時にモスク建築との比較も試みよう。