都市史特論05/都市と都市以前 〜都市とは何か?〜

都市以前から都市を分けるもの、つまり都市性とは何か。結論からいえば、今のところ日本では王権の成長が統治機構の一部としての中国都城(外来モデル)を要請したことに都市のはじまりをみるのが学界では妥当とされているよう。しかしそれ以前の大規模集落を都市とできない理由は? また逆にそれを都市と主張する研究者の論拠は? というわけで、もう半世紀以上前のゴードン・チャイルド『都市革命』の議論を紹介。メソポタミアでの都市生成をめぐる理論モデルと指標。大局的にみれば、チャイルド以来の指標を、弥生時代の大規模環濠集落などがどれほどよく満たすかという議論の構図になっていることは否めない。
ところで今回は池上曽根遺跡(大阪)をケーススタディにとったのだが、「遺跡」というモノとその痕跡の集合体に時間的配列を推論する作業にはかなり刺激的な視点も満載である(たとえば竪穴がいっぱい出てきても同時に存在したとはかぎらない、蓋然性ある時間的再構成をしてみると人口は以外に少ない、とか、あるいは墓群が3つに別れていることから実は複数の集落が一時的に集合して離散するプロセスの一時点を示すにすぎない、とか)。一方で年輪年代法と炭素14年代法とで、出土した木材から「BC.52年」とかの数字がバチっと出てしまうご時世で、個々の遺跡の年代も、あるいは縄文・弥生時代の年代的なレンジもどんどん塗り替えられている。その都度、世界史的なリンケージも連鎖的に変わってしまう。
さて、ともかく我々として最低限、都市とは非食糧生産従事者が集住しているのに何故だか彼らが食べることのできる仕組みである、ということだけはしっかり理解しておこう。つまり都市とその後背地たる農村は、同時に生成・変化する。産業革命期の都市だって、今日の都市だって、この基盤だけは変わっていないはずだ(もちろん各都市の後背地は互いにクロスオーバーするかたちでグローバルに分布する)。