ヴァナキュラーの公定化

R0032665この写真の建物、RC(鉄筋コンクリート)ラーメン構造・・・ではない。いや、そう答えても完全な間違いとも言い切れないが、でもやっぱり違う。コンクリートの柱・梁の輪郭がもうひとつ鮮明じゃないのにお気づきだろうか。そう、煉瓦壁を一層分ずつ積み上げては、コンクリート部分を打設する、という工法なのである。もちろん煉瓦を積むときに柱型のところは空けておき、型枠を組んでコンクリートを流し込むのだが、煉瓦壁が型枠の一部となりそのまま鋳込まれるあたりは古代ローマの工法を想起させる(壁部分はあくまでただの煉瓦壁なので、構造的な思想はまったく違うけどね)。
 この種の構造物が台湾の、とりわけ地方都市の建物の大半を占めている。台湾で「加強磚造」(=補強煉瓦造)と呼ばれていることが示すように、この工法はあくまで煉瓦を積んでいく壁構造を、コンクリートの柱型・梁型・床スラブによって補強改良したものとして認識されている。台湾には日本と違って「建築法」と称する堂々たる法があるが、同法97条によって定める「建築技術規則」には「第五節 磚造」(煉瓦造)につづけて「第六節 加強磚造」があり、壁量に関する規定があったり、最近改正されたが少し前までは壁位置は各階で揃っていなければならないとされていたりして、明らかに壁構造の延長上に位置づけられていることが分かる。
 街や村の大半をつくる(内田祥士先生流にいえば「量を担う技術」である)モダン・ヴァナキュラーを法的に公定しているという意味では、日本の木造在来工法みたいな位置を占めるといえるかもしれない。
 ところで、面白い統計資料があって、1930年代の台湾家屋は、北中部では「土确」(日干煉瓦造)が半数を占め、南部では「竹管」(竹造)が圧倒的多数を占めた。これらが、その頃の台湾における「量を担う技術」であったことになる。ところが植民地政府は建築規則のなかに日干煉瓦造や竹造の項目を入れていない。正確には、当初は日干煉瓦の規定を設けていたが、すぐに削除してしまう。
 現在の台湾の規則でも、たとえば当初あった「混凝土空心磚造」(=コンクリート中空ブロック構造)の規定がのちに削除された例がある。工法として淘汰されたということだろう。しかし植民地期の規則に日干煉瓦造や竹造の規定がないのは、植民地末期になっても圧倒的多数の家屋がこれら工法で建築されていたのだから、これとはまったく意味が異なる。政府としてはこれらを公定する必要のないヴァナキュラーの領域にとどめることを選んだということか。戦後1960年代には、これら工法も淘汰されるのだが。