人の移動は居住世界をどう動かすのか 〜 複合化と葛藤 〜

2015.03.07. Sat. 「人の移動と居住文化」と題する公開研究会に、コメンテーターとして参加した。この研究会は、日本建築学会建築計画委員会の「比較居住文化小委員会」が企画したもの。こういう小委員会があるってこと自体、建築学会って奥深い。

公開研究会(日本建築学会建築計画委員会 比較居住文化小委員会)
人の移動と居住文化    都市が媒介する多様性とつながり

趣旨説明:稲垣淳哉(早稲田大学
主題解説:
1.モスクにあらわれた環インド洋の文化交流
  深見奈緒子早稲田大学
2.移動する出家者たち    ヤンゴンの都市僧院をハブとする「教学の巡礼」
  藏本龍介(東京大学
3.コロンボの下町からスリランカとインド洋を眺める
  山田協太(京都大学
ディスカッサント:青井哲人明治大学)、北原玲子(日本女子大学
まとめ:本間健太郎東京大学
司会:内海佐和子(室蘭工業大学

日時:2015年3月7日(土)14:00〜17:30
会場:日本建築学会 建築会館会議室

 研究会の主題は、「移動」に着目することで(広義の)「居住文化」の見え方がどう変わってくるかを問うものでたいへん刺激的だった。
 建築(あるいは広く私たちの居住世界)は、様々な「形式/内容」の束をたたみ込んだようなあり方をしているように思われる。形式(form)と内容(substance)の結合・対応の関係を[f/s]のように表せば、建物は、たとえば[プラン/機能]、[型/権利]、[構造形式/材料]、[断面構成/宇宙観]、[外観/社会的ステイタス]・・・のような複数の束が互いに緊密に織り合わされたファブリックと見ることができる、というようなこと。その上で、「移動」によって文化が別の場所に移されるなどの場合にこれがどう変化するのかを考えてみる。
 たとえば台湾の中南部ではかつて竹造の民家が普通だったが、これは福建・広東出身の漢人たちが、彼らの木構造をその材料だけ竹に置換したようなものだ。これは、(ここでは異なる環境への適応において)構造が「形式」と「内容」という二つの側面にいったん分離され、その形式が別の内容(材料)と再結合する、といった出来事とみなせる(理論上)。おそらく、様々な「移動」によって生じる建物(織物=世界)の変容とは、お風呂に入浴剤を入れて混ぜるときの濃度的な変化と見るよりも、「形式/内容」の束のどこかが解かれて、再結合がなされることによって成就する、構造的でデジタルな変化と見る方がよいのではないかと思う。もちろん、わずかな濃度的変化で事足りることもあるがそれはもとの織物が条件変化に対して十分に強い場合であり、また逆に条件変化があまりに極端な場合はもとの織物が再編を成就できずに破壊に至ることもありうるだろうが、だからこそ、デジタルな組み替えを許容できる冗長性は居住文化の重要な特性だと逆に考えることができるだろう。
 整理すると、移動のライン(line)に沿って何かが運ばれるとき、織物(fabric)としての生活世界を構成する形式/内容(form/substance)の関係がどう組み変わるのか、という視点で3つの主題解説を聞き、コメントした。


 深見さんは、環インド洋世界におけるイスラームの伝播という錯綜したラインを背景に、各地に見られるモスクの建物を紹介し、その多様性のなかに(1)16〜18世紀のヴェナキュラー優位と、(2)19世紀以降の様式主義とが峻別できるという見取図を示された。「形式/内容」の対応関係という視点からいえば、前者にあってはモスクとは何よりも集団礼拝の場であってそれ以上ではなく、それを収容できるならば建築形式は在地のものが転用されるのが通例だったが、後者では西欧のアカデミーにおける「形式/内容」の一致という規範に沿った「イスラーム様式」が波及する、というわけだ。お分かりのように、「イスラーム様式」などというものは元来は存在しない。「形式」は取り替え可能だったのだから。ここには帝国主義植民地主義のラインに沿った「建築家」の移動や輸出という問題系があり、また西欧文明の浸透によって在地社会がその「他者」としての自己規定に目覚めることによってむしろ西欧的思考が導入されていってしまうプロセスがある。
 藏本さんはミャンマーをフィールドとする文化人類学者(『世俗を生きる出家者たち―上座仏教徒社会ミャンマーにおける出家生活の民族誌』の著者)。ヤンゴンの都市僧院の生態から、仏教=「宗教」の、経済=「世俗」的な存在形態に迫り、これによってミャンマー社会の特質の一端に迫る興味深いアプローチで研究を展開しておられる。農村の少年たちが僧侶になるため都市に移動し、都市-農村をむすぶラインをつくり、それが農村から都市への人々の多様な移動の足がかりとなる。都市はその構造的性格のために特定の場所に僧院を偏在的に受け入れ、その集積が特有の居住文化を生み出していく。さらに興味深いのは、都市への僧院の集積という形式は政治的なパワーという意図せざる内容をもちはじめ、ある面では開発主義への抵抗としても働く、という点だ。
 山田さんの報告のうち、近代の環インド洋的な仏教運動のネットワークのつくるラインが、アジャンタやボードガヤなどいくつかの歴史的モニュメントに範をとった様式を規範的に流通させたというトピックは、深見さんの19世紀以降のイスラーム様式的なものとよく似た問題系だ。一方で、「場所のネットワークとしての居住環境」のような、人間環境系を錯綜するラインとして拡張的に再定義する見方は、藏本さんの研究と通じる。そして一番面白かったのは、コロンボの下町の環境=物資文化的な織物に、「形式/内容」の一致などという近代的期待を裏切る多様な混在・置換・誤読がみられ、それが多様な出自の人々の連携からなる社会生活の織物と対応しているのだ、という議論であった。
 3つの報告を通じて浮かび上がったもうひとつの視点は、19世紀以降の国民国家 nation state の論理が、こうした居住文化の冗長性と矛盾する力として働き、それゆえに居住世界の内部に葛藤が生じていくという問題。このことを建築論の問題として考えていくこともできそう。