スポリア(SPOLIA)をめぐって

 皆さんはスポリアという言葉をご存知だろうか。私は京都大学人間環境学研究科の国際シンポジウム「SPOLIA 建築・都市の継承と再利用 西洋と東洋の比較を通じて」という企画を知ってはじめてこの言葉を耳にし、調べてみて興味を持ち、このシンポジウムを聞きにいった。オーガナイザーは岡田温司先生。

 スポリアをWikipedeiaで引くと → spolia という具合に説明されており、美術史の用語としてその世界では市民権のある言葉らしいことが分かる。簡単にいえば、本来は別の場所(建物あるいは都市)に埋め込まれていたモノを、そこから剥ぎ取り、別の場所(建物あるいは都市)に埋め込むようなリユースを指す。英語のスポイル spoil が同じ言葉だというのにはちょっとびっくりした。スポイルというと、「だめにする、台無しにする、甘やかす、骨抜きにする」みたいな意味だから。

 オリンピア・ニリオ女史(イタリア)の報告によると、古代において SPOLIA は「都市から不当に剥ぎ取ること」を意味したという。もともと「戦利品」という軍事的な語義が先行するらしく、戦争で征服した土地からローマ軍の将軍や兵士たちが建物の一部や美術品などを持ち帰ることを「野蛮な行為」として戒めたものだろう。たしかに英語の辞書でも、動詞では最後の方に「⦅古体⦆…を奪う;〈人から〉(…を)奪う, 略奪する⦅of …⦆.」という語義が出ている。名詞の方はこの古い語義が、「1⦅しばしば〜s⦆強奪[略奪, 戦利]品」というようにむしろトップで掲げられる。「だめにする、甘やかす」といった語義は、相手の大事なものを奪う、というところから派生した意味だろう。

 キリスト教が公認された帝政末期に、SPOLIA が「非キリスト教的」な行為とされるのは、上記の事情の延長線上に、国教の転換という経緯を加えれば理解できる。しかし、さらに興味深いことには、その後、キリスト教にとって古代の権威 auctoriatas (authenticity) の借用が必要であると自覚され、それが正当化されることによって、SPOLIA は肯定的な言葉に転化するのである。この転化はもっと急勾配に進んだ模様で、「違法な持ち主から引き剥がし、正当な位置に取り戻す」という価値さえ与えられる。オリンピア女史は言及しなかったし、あまりいい加減なことを言うのは慎まなければならないが、ここには十字軍的な意識が垣間みれるように思えるし、だとすればイスラームとの対抗関係が投影されていったことにもなる。SPOLIA(剥ぎ取る)という言葉は、行為とその方向=「形式」だけ残して、その「価値」は都合よく簒奪された(剥ぎ取られ)たわけである。

 中世の建築技術は古代の再利用であった。ルネサンス時代には SPOLIA に文化的・学術的な正当性が付与された。19世紀には保存論における様式的統合性の主張(ヴィオレ・ル・デュクら)もあり、モダニズムにつながっていくが、その批判的乗り越えは必然的に SPOLIA の復権、すなわち複数のコンテクストの同時併存を許容する論理の復権というかたちをとるのだろう。単純化しすぎているだろうが、SPOLIA という概念を使うと、歴史観がぐっと長くなり、かつ、手触りが具体的になる。

 このシンポジウムは、SPOLIA という概念をキーに掲げ、さてこれが日本にも当てはまるのかどうか、日欧を比較するとすればどうなるか、こうした議論を試みようとしたもので、とても面白かった。日本サイドからは黒田泰介さん、清水重敦さん、中嶋節子さんが報告。

 考えさせられたことが沢山あるのだが、以下メモとして3点ほど記す。

(1) SPOLIA は、あるモノを、それがもともと属していたコンテクストからいったん解放=脱コード化=資材化して、他のコンテクストに組み込むことなのか。それとも、元来のコンテクストは決して消すことはできないという認識の上に立ち、それが組み込まれるコンテクストとの関係をそれなりに整合させうるメタ・コンテクストを設定することなのか。以下、すべてある意味ではこの問いの変奏である。

(2) 古代ローマの謂いにあった、「都市から不当に剥ぎ取ること」といった説明にすでに示唆されうるように、SPOLIA を考えることは、すなわち共同のレベルを考えることになるだろう。「個人」でもなく、ニュートラルな「社会」でもなく、「国家」でもない、ある種の「人格」として認められうるような共同体の水準。剥ぎ取り、埋め込む、という行為が孕む、共同性のレベル。岡田先生はエスポジトの『近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治』の訳者だから、このことは視野にあったろう。共同体=コムニタスの問題と、それが何を受け入れうるのかという免疫=イムニタスの問題。

(3) 単体(モニュメント)のレベルと、集団(都市)のレベルとの往還。これは私の推論なので注意して読んでいただきたい。ヨーロッパではすでに19世紀において、建築設計をユニットの組織的配列とみる見方が獲得されていた。保存論においては、「様式的復原」を主張するヴィオレ・ル・デュクの合理主義はこれに対応するのではないか。さて、こうした論理を、集団=都市のレベルに折り返してみると、要素たる建物はそれぞれに異なる時代に属し、互いに隣接関係の辻褄をあわせながら併存していることに気づく。都市という「織物」は、つまりシステム的な統合へのピュリスティックな信奉というよりも、異質なものの併存的な包容を評価する視点の発見なのだ。これを再びモニュメント(単体)のレベルに折り返すと、実は歴史的な建造物は単体においてすでに同様の織物であったことが気づかれるだろう。そして、この織物の複合性を消さず、さらに重層化するような設計方法が自覚化される。このように、SPOLIA が正当な方法の地位を獲得していくプロセスとして、単体レベルと集団レベルを往還しながらの批判的思考の連鎖を想定するのは魅力的だ。

(4) これを日本に敷衍して、清水さんがいつも注意を喚起する問題、つまり近代以降の日本の保存論にあっては今なおヴィオレ・ル・デュク的な「様式的復原」論に対する批判的超克がほとんど起こらないという問題を考えてみよう。すると・・・日本では集団のレベルにおいて異質なモノが長期にわたり併存して重なっていくような状態は起こりにくいので[←丁寧な議論が必要]、併存、層化、辻褄合わせといった視点は、集団=都市レベルに眼を移しても発見されにくく、ヨーロッパのようなタイプの弁証法的な議論の展開は起こりづらいのではないか、という視点に気づく。

(5) 一方で、清水さんが指摘するように、日本でも古代から中近世に至るまで、建物はまさに SPOLIA 的な躯体や部材の再利用のドキュメントと見ることもできる。ところが、石造での併存的な埋め込みと違って、軸組の場合はシステム的な整合が不可避的に問われる点は見落とすわけにはいかないだろう。つまりそこでは、多かれ少なかれ合理主義的な統合が問われてしまう。

(6) 中嶋さんの報告のなかで触れられていた、京都の町屋における私=単体レベルと町=集団レベルの架橋はきわめて示唆的である。ある家が失火したとき、それに隣接する町屋は(延焼を食い止めるため)共同体の名において取り壊されることを認めなければならない。逆に、共同体の側は取り壊した町屋を返却(=復原!)しなければならない。この場合、(火災を前にしたとき)私的な所有権が集団的な所有権と対立するという問題を、個人がいざという時はその私的所有権をいったん共同体にあずける、というブリッジによって解決している例だと言える。時間的な前/後における同一性の保存が、個/共同体のレベルを上昇・下降する回路において実現されている。つまり、層化的・併存的な複合化がおこりにくい世界では、モノの消滅を前提としつつその前・後をつなぐ論理式が開発される、と考えられる。

(7) 消滅を前提にしてメタレベルでの保存論を肯定することは、ある意味で危険だが(スクラップ・アンド・ビルド、あるいは開発主義の安易な肯定につながりうるから)、しかし、それをきちんと掘り下げてみることは、やはり避けて通れない歴史学=意匠学の課題だと思う。

(8) いずれにせよ、SPOLIA という言葉を日本に適用してもよいが、それは同一性の発見とともに、異質性の発見でもあるような比較論が組み立てられうるような場合においてのみであろう。