Xから都市組織研究へ/都市組織研究からX'へ

昨日(20110305 Sat)、東大本郷で東京フィールド研究会公開講演会「都市フィールドワークの開拓 布野修司先生にうかがう」
が開かれた。第1部の布野先生の基調講演は「Xから都市組織研究へ」と題して自身の研究歴を開陳。第2部は主催者サイドの学生さんたちが『戦後建築論ノート』『カンポンの世界』『近代世界システムと植民都市』を読んで布野に質問をぶつける。第3部では私の先輩・脇田祥尚さん(近畿大学)が布野の研究の変質?について“不満”を投げかけつつ対談。いろんな意味で4時間ほど背中に汗かき続けましたが、その後の飲み会も含めて楽しい一日でした。主催者の皆さん、伊藤毅先生、ありがとうございました。布野先生、脇田さんお疲れさま。
ところで僕はコメンテーターということで最後に喋らせていただいた。弟子がコメンテーターというのもちょっと妙なのですがありがたく企画サイドからのご指名を受けた次第。下にその概要(ほぼ喋ったまま)を記しますので「続きを読む」をポチッとしてください。
コメント:青井哲人(実際に喋ったことを備忘録的に記録)

1. Xは何だったか
講演タイトル「Xから都市組織研究へ」のXは、東大建築計画学(とくに住戸平面計画)だろう。そこからなぜ、都市組織研究へ行かねばならなかったか? 住戸を積むだけで都市はできない、というのはむろんそのとおりだが、それは具体的にどんな問いを展開させるのか。HPU=群居とカンポン研究が重要な契機だったことは分かったが、近い将来詳細に聞き取りたい。

2. 都市組織 (urban tissue) 概念
一方で、「都市組織」概念はきわめて曖昧に使われている。日本の計画系の論文では「空間構成」「構成原理」といった言葉が用いられるが、「都市組織」は本質的にタイム・ベーズドの概念と考える。持続的時間のなかでの物的組成のふるまいこそが基本的なものだと考えれば、ある瞬間の「見え」が「空間構成」と呼ばれるものだと考えることができる。この議論には、a) 土地建物の法的構成、b) 権利とその交換の体系、c) 相隣関係、d) 材料・構法、e) 住観念、f) 生態系などが必然的に組み込まれる。こうした議論構築の下敷きになるのは、1) ティポロジア、2) 日本都市史の方法論、3) ハブラーケンのハウジング論などで、3) は歴史・計画分野にもっと参照・接続されてよい。(付記:ティポロジアにせよハブラーケンにせよ、その方法には手法的側面と思想的側面がある。とくに後者、つまり都市観の提示はつねに意識されねばならない。)
しかしながら、このような都市組織論が日本あるいは第三世界の都市空間に一般的に適用可能かどうかといえばきわめて怪しい。刀の鍛え直しが必要である。(付記:陣内秀信先生も日本都市を扱うためにティポロジアを修正的に展開させてきたが、議論は建築から遠ざかりがちで、それがまたひとつの思想的運動でもあったのだが、いまいちど日本の文脈で、建物を組み込んだ議論の構築を意識化したい。)

3. 日本都市の特質
日本の都市の特質をそろそろ包括的に議論してもよい。とくに近代に関していえば、国家が急速な「近代化」への強い決断をしたがゆえに、そのフォーマルなシステム(都市計画等)にも、歴史的基盤をもつインフォーマルな原理を組み込んでこざるをえなかった。両者が様々なかたちで結託することにより日本の都市は形成されてきた。このことの歴史的ドキュメント化を、先述の都市組織論の鍛え直しと同時にやらねばならない。
建築生産の歪みについても同様で、やはり歴史化のタイミングが来ている。この種のことは稲垣栄三先生以来、「跛行性」(跛行=片足をひきずること)として捉えられてきたが、今日ではこのハイブリッド性を日本的特質として認めつつ発信する可能性もある。

4. 建築家とは何か
宮内康・布野修司らは、このような日本的近代の特異性の形成過程を「昭和」というかたちで対象化したが、すでに相当の時間が経過したいま、言説レベルの『戦後建築論ノート』をこえて、現実的コンテクストに即した同書の書き換えを我々はつねに意識すべきだろう。こうして捉え直される日本的な「近代」(都市・生産の構造的特質)を踏まえて、それに対して「建築家」は何をしてきたのか、何をすべき職能かを問うことができるだろう。

5. 都市組織研究からハウジングへ
70年代に噴出した問題群がいま回帰しつつあるようにみえる。たとえば、デイヴィス『スラムの惑星』で指摘されるように都市人口・スラム人口が爆発的に増大している。このことは一方で世界植民都市研究の次のフェーズを暗示するが、他方では具体的にセルフ・ヘルプと資本との関係の問題がある。同書に登場する重要人物のひとりにJ・ターナーというペルーでのスラム改善の経験からセルフ・ヘルプ・ハウジングをプロモートした人がいるが、布野は1982年に来日中のターナーに請われて会っている(布野:しゃぶしゃぶ食ったんだよ)。ターナーはローカル・グループのネットワーキングのための相談を布野に持ちかけていて、これはHPUともつながる。(スラム膨張や災害頻発を踏まえると)いまきわめてアクチュアルな問題ではないか。
鍛え直された都市組織論から、再びハウジングへの回路をつくることはどのように可能か。

6. フレームとアジテーション
今日重要性を増す問題の多くが布野の軌跡のなかですでに提示されている。だから布野をトレースしつつ超えるしかない。ただし、布野はフレームの人、アジテーションの人だから、著作のなかに核心的言明を見いだすことは必ずしも容易ではない。結局、後を行く者が自分自身の「新しい問題」を立てることなしに布野を読み直すことはできないだろう。

(20110305 a.aoi)