【再掲】要申込 「戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体」12月16日(土)田町の建築会館ギャラリー

戦後とはひとつの空間であった    この空間の存立構造を問う連続シンポの第1回目を行います。近代文学の鳥羽耕史さん、建築史のケン・タダシ・オオシマさん(ワシントン大学)が講演(日本語です)、建築家の日埜直彦さんがコメント。なぜ、建築家は「民衆」や「伝統」に向かうのか。1950年代の運動は、私たちの何を決めたのか。民衆論・伝統論をめぐって日本の戦後建築を考える従来の視野が一挙にひろがります!

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このポスターの制作は早稲田大学中谷研究室の重本大地君(ありがとう!)。以下、開催概要です。

1950年代の「民衆論」「伝統論」は、従来あまりに建築ジャーナリズム内的な視野でのみ語られてきましたが、これを、より大きく、うんと立体的な地図を押し広げつつ、捉え直す必要があります。そうでないと、そこに「戦後空間」は見えてきません。たとえば、あれは何か「戦後」的な「新しいリアリズム」をめぐる広範な芸術諸分野の運動のひとつだったのではないか、という視野もそのひとつである。すると、分野横断的に、広大なソヴィエト連邦の西(東欧および西欧)と東(中国および東アジア)にあった左翼芸術家たちにとっての切実な課題と、アメリカとの関係を緊密化させていったモダニストたちの問いの更新への模索とが、実践の時代に差し掛かった50年代に接近し、「民衆」や「伝統」の把握の書き変えというかたちで焦点化されていたのではないか、という見立てができそうに思われてきます。さて。

戦後空間シンポジウム01
民衆・伝統・運動体    1950年代・建築と文学・日本とアメリ

日時:2017年12月16 日(土)13:30~18:00
会場:建築会館ギャラリー(東京都港区芝 5-26-20 建築会館 1 階 ギャラリースペース)
主催:日本建築学会 建築歴史・意匠委員会(企画:同委員会 戦後空間WG)

主旨説明 青井哲人(建築史/明治大学

講演1 文化運動のなかの民衆と伝統
鳥羽耕史(日本近代文学・戦後文化運動/早稲田大学/1968-)

講演2 日本とアメリカの建築的交流:「民衆」と「伝統」をめぐる文脈の輻輳 Architectural Exchanges between Japan and the United States: Intertwined Perspectives of 'People' and 'Tradition'
ケン・タダシ・オオシマ Ken Tadashi Oshima(Architectural History, Theory and Representation/Japan Studies Program, University of Washington/1965-)
 *日本語で講演されます。
コメント 日埜直彦(建築家/1971-) 討議

参加費:会員 1,500 円、会員外 2,000 円、学生 1,000 円(資料代含む 当日会場でお支払いください)
定 員:60名(申し込み先着順)
申 込:Web 申し込み https://www.aij.or.jp/event/detail.html?productId=610559 よりお申し込みください
問合せ:日本建築学会事務局 事業グループ 一ノ瀬 TEL:03-3456-2051 E-mail:ichinose@aij.or.jp

<主 旨>
建築論・建築的実践が接続すべき人々(people)を呼ぶ日本語は、時代によってさまざまに変転してきた。国民、人民、民衆、人間、大衆、住民・・・。これが底流的に、あるいは反復強迫的に、〈戦後空間〉という磁場のひとつの極をなしてきたといってよいだろう。しかし、なぜそうなったのか。
このシンポジウムでは、1953~57年頃の「民衆論争/伝統論争」の《周辺》を問う。これら論争は、従来、丹下健三西山夘三近代主義マルクス主義の対立)、丹下健三白井晟一(弥生的洗練/縄文的野蛮)といった対立の図式として知られ、また民衆的エネルギーの建築的表現という問題系においてメタボリズム運動の前史として捉えられることもあった。しかし、これらはあまりにも「建築」(建築ジャーナリズム)内的な論調であり、少し視野を広げるだけで50年代の建築をとりまく状況はかなり違って見えてくる。
ここでは文学をみてみよう。中央・地方の文芸誌の運動、文化サークル運動、生活記録運動、国民的歴史学運動、アヴァンギャルド文学・美術の運動・・・。そこには、戦前と変わらぬ教条的・定型的な抽象的議論をふりはらい、一歩踏み出して、作家(専門家)が民衆・社会にどのように方法的につながるかを模索する「新しいリアリズム」が実践を通して目指されていた。
このような視角から建築の1950年代を見直すと、そこにも多数の小さな「運動体」の簇生、建築雑誌編集者たちの「運動」、あるいは農村を目指す「運動」などがあり、やはり「新しいリアリズム」の獲得が目指されていたことがうかがえる。朝鮮特需、ビルブーム。復興から成長へ、民主化から右傾化へ、という時代の趨勢は、進歩的建築家を糾合した戦後間もなくの運動体NAU(新日本建築家集団、1947-)を崩壊させたが、その後にこそむしろ実践の可能性が探索されたのだろう。
一方で興味を引くのは、「民衆」「伝統」をめぐる議論に、特徴的な「世界地図」が見えそうなことである。「新しいリアリズム」を目指す運動は、ソヴィエトの東西両周辺で起きていた。つまり東欧諸国(および西欧の左翼)と、中国(および東アジア・中米の左翼)である。そこには広大な〈国際空間〉がイメージされていた。
そのようにみるとき、他方で、アメリカ合衆国と日本のあいだにつくられた文化・情報の〈交通空間〉の重要性もまた明らかになってくるだろう。この線を通じての日米の人的交流もまた、「新しいモダニズム」という回路において「民衆論/伝統論」を活性化させただろう。
戦後空間シンポジウム01では、以上のように(1)文学の潮流を参照し、(2)アメリカとの人的交流を見ることによって、「民衆/伝統」をめぐる議論と運動についての私たちの見方を立体化し、「戦後空間」のひとつの捉え方の可能性を見出したい。