研究室10周年記念サブゼミ大会にて國分功一郎『中動態の世界』を読む。

國分功一郎『中動態の世界』(医学書院、2017)を読んだ。OB・OGが研究室10周年の集まりを企画してくれ、その第1部としてサブゼミ大会(OB・OGをまじえた文献購読ゼミ)をやることになったので、課題図書にこれを選び、皆で議論した。

完全な能動でも完全な受動でもない、あるいはその両方でありうるような、私たちのごくありふれた思考や行為のあり方を適切に表現できる言葉の可能性、具体的には動詞の「態」を探索・開拓する本。私たちがより自由になり、より生きやすくなることについての本だから、都合のいい読み方するとオイオイってなっちゃう本でもあると思った。他方で、私たちが考えてきた都市や建築の無名的ないし集合的な動的世界の「態」と、もう一方の「主体」や「意志」といった主題を考え直すよい機会になった。それはともかく、「態」をめぐる言語哲学的な推論の系譜がわかりやすく跡付けられた本でもあり、一読の価値あり。

世界の多様な言語のなかには、動詞の「態」が、能動と受動だけでないものがある。たとえばギリシア語の peitho という動詞を例にとり、「私」を主語とする文を考えると・・・能動態では「私は説得する」、受動態に活用させると「私は説得される」となるが、もうひとつ、中動態と呼ばれる態がある。この中動態に活用させた peithomai を使うと、私が私自身を説得する、つまり、「私は納得する」という意味になる。「私を」という再帰的な目的語は不要。一瞬ピンとこないが、動詞を活用させるだけで意味(sens =方向)が変わる。

数千年あるいは1万以上前には、世界のさまざまな言語に中動態的なものがあったらしい。ところが、いまなお中動態を残しているギリシア語ですら、古代においてすでに、能動と受動とを対立させ、そのうえでどちらにも分類しがたいものとして「中動態」をネガテイブに(あらず、あらず、というかたちで)規定するのが普通になっていた。しかし、歴史的には、受動態はむしろ中動態の派生形であったらしく、能動態と中動態の対が先行するようなのだ。

つまり、《能動/中動》というセットが、《能動/受動》というセットに、支配的なフレームの座を奪われていく、そんな地殻変動が「言語〜思考」系に起きたらしい。「中動態」という名付け自体が、古代に文法学が発達したとき、すでに《能動/受動フレーム》が当たり前になっていて、両者に対する第三項という発想から与えられたものだから、かつての《能動/中動フレーム》を考える作業はどうにもぎこちないものになってしまうという、ややこしい事情もある。だって能動と中動じゃ、ぜんぜん対になっていない。

ここが重要なポイントで、対立の相手が違うなら、じつは「能動」の意味も今日とは違っていなければならない。実際、どうやらかつては、能動態の表現をする際の主語は、極端にいえばたんに人や物に働きかけるだけであり、実際にその人や物において起こる変化・効果からみれば、その契機を与えているにすぎないという捉え方がなされていたらしいのだ。そして中動態とは、その変化・効果が主語という座において起きていることを表現する態だったという。

上にあげた例、同じ動詞でも活用によって「説得する」が「納得する」になるという、あの再帰的な意味合いへとクルっと方向が変わる感じがおもしろい。別の例も紹介しよう。「馬の綱を外す」、という動詞があって、その能動態ではたとえば従者が主人のために馬の準備をすること、中動態では自分が自分で馬に乗ることを意味したという。綱を外す、という動詞が、中動態では綱を外して馬にまたがり駆け出していく、という行為の継起(シークエンス)、あるいは一定の持続を含んでいるように思われることは興味をそそる。このように、中動態とは、動詞の指す行為が主語自身において引き起こす変化や出来事を意味するように使われたらしいのである。

いかえれば、かつては「誰が」という主体よりも、「どう変わっているか、何が起きているか」、つまり動詞が指す行為=入力が、その作用が及ぶ場=系に引き起こす効果にこそフォーカスがあった。そのうえで、主語がその効果の生じている現場に対して、外から入力をしている者か、当の変化とともにある者か、によって動詞を活用させていた、と解釈できる。

中途は飛ばす。スピノザ(1632-77)の『エチカ』にある、「変状」の二段階説が、じつは本書の議論の要約になっている。すなわち、スピノザの語法でいえば、ある「様態」があって、そこに外部の原因が作用するとき、それは「外態」として記述される。ついで、これを受けた様態が、それ自身を座として変状の過程に入る。この変化は「内態」として捉えられる。この変状は、外力が物理的につくり出すのではなく、様態自身の(その本質を維持しようとする)固有の特質に規定されるかたちで進むのである。

スピノザは中動態についてはふれていないようだが、この理解は、古い言語における、変化や出来事に着目して主語の位相をみわける、あの観点と通じる。

ここまで来ると、著者國分功一郎が説く理解の枠組みとは、サイバネティクス的なシステム論、あるいは生態系論、オート・ポイエーシス理論、免疫論、創発論・・・などと基本的に同じものだとわかる。スピノザの「様態」は系であり、外部の「原因」は系への入力、「変状」は系が表現する出力、ということだ。スピノザは汎神論だから、すべては神であり、その神が姿を変えたひとつひとつの現れが「様態」と呼ばれていたわけであり、ある「様態」が他の「様態」と相互に作用することを上記の二段階説で説明するのだが、スピノザにおいてはそれもすべてが神の再帰的・自己言及的なとどまるところのない複雑な変化なのであった。サイバネティクスはここから「神」を消したもので、だから小さな要素間の相互作用がつくる系を階層的に積み重ねていくその思考によって最終的に世界や宇宙を説明しようということになって、くるっとまわって汎神論と同じようなものになる。

10年前に研究室が発足する少し前からぼくが考えていたのは、ベイトソンなんかを参照しながら、都市の動態をサイバネティクス的に考えるということだった。とくに近代都市計画史が、計画する者/計画される者という能動/受動フレームで語られていたことにすごく違和感があり、いずれにせよ都市のプレイヤーたちはどんな立場であれその相互作用によって「都市」と名指されるような何かを効果として生み出している、それを裏からいえば、都市史の主語を「都市」とすればよいのではないか、ということだった。

この見方を、災害の理解の仕方にも意識的に連続させてきた。ある社会の表現する出力が災害過程であるが、それは外力が直接決めるのではなく、その社会の特質が決める、と考えるのである。社会は地震津波に対してたんに受動的なのではないし、だからこそ社会を変えていく可能性が探求できる。

そして、そこには「意志」が求められる。

本書では「意志」をめぐるハンナ・アレント(1906-75)の議論も参照されている。アレントによれば、普通わたしたちが意志とみなしているものはすべからく「選択」にすぎない。過去から流れてきた幾筋もの線がつくる現在の文脈において、私たちはつねに大小の岐路を選んで生きている。それは日常であり、事実にすぎない。意志は、何らかの選択がなされた後に呼び出されて、過去と切断された始まり、のちの選択が繰り返しそこに遡って検証されるような原点、起源、つまりゼロ地点を仮構するにすぎない。

いや、「すぎない」というのは國分の論調であって、アレントは違う。意志なしには動かないこと、たとえば公共性という水準がたしかにあるし、事後的な仮構であっても現にその後にそれなしにはありえないような特異な磁場が生まれることがある。都市や建築では、むしろそれが求められる。膨大な選択を重ねた先に、どこかで決定的な「意志」の承認が要請される。誰も完全に能動的で全能的でないがゆえに、集合的な意志、あるいは建築家と名指されるほかないものの意志が、ゼロ地点をつくる。それは過去を切断するが、しかし過去の堆積でもあるという両義性をもつ。意志とはそのようなものだろう。

結局、中動態は能動性の契機を含んでいて、それをどう捉えるかという問題、あるいはどこかで意志が呼び出されるという問題が、本書を通じて浮かび上がらざるをえない。都市史・建築史としても、スピノザ汎神論的あるいはオートポイエーシス的な都市観は、あまりに素朴な能動/受動フレームを相対化するうえで有効だが、そのうえで、「意志」の召喚という問題をあらためて扱う必要がある。これが本書を読んだ私たちの収穫だった。