謹賀新年2016

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2015年を、 4半期に区切って振り返ってみる。リンクは基本的に当ブログ内記事。
1(1-3月):日埜直彦さん企画のシンポジウム「ヒストリー・オブ・ジャパン・アーキテクツ」(2月21日@金沢21世紀美術館)に、長谷川堯中谷礼仁のお二人とともに参加(→その1その2その3)。「戦後」建築史のパースペクティブを描くことにつとめたが「建築」の歴史にはほど遠かったかもしれないし、肩に力が入り過ぎた感もあって思い出すとちょっと赤面する。ブログを読み返すと「建築家の社会政治的位置の変動と建築表現のフォルマリスティックな遷移とを、緊張ある関係で結びながら語ることができたら一番いい」と書いているが、もちろん形式(フォーム)と内容(サブスタンス)とは基本的には無関係である。それでも現実の歴史的コンテクストにおいては両者が抜き差しならない関係を結んでは切り離される。

2(4-6月):新国立競技場問題をめぐるゴタゴタ(その1その2)。あの頃はまだ「ちゃぶ台返し」だけはせずに押し切るものと疑わなかったが、結局7月に白紙撤回(その3)。選定やり直しで、年末に例の「A案」が選ばれた。コンペとその後のゴタゴタも、白紙化後の成り行きも、その間のすべての言論状況も、ぜんぶ歴史的な問題だろう。白紙化までを検証する10+1 website の10月号特集にも書かせてもらった(こちら)。

3(7-9月):台湾調査、綾里調査、神山スタジオの3つを中心としていくつかの遠征。台湾は2015-2020の5年間の科研費プロジェクト(代表=青井)が採択されてその1年目。熊本県立大の辻原万規彦さんが現地合流。辻原さんには11月に熊本へ呼んでいただき天草をご案内いただくなど早くも色々な展開あり嬉しい(こちら)。綾里は首都大の饗庭伸さんを中心とする幅広いメンバーの共同作業だが、目的であった博物館(津波災害の記憶を次なる計画につなげるための小さな地域博物館)がやはり多くの皆さんの力で実現してひとつの節目に(当日は僕は行けずとても残念。→饗庭さんのグッとくるまとめを参照)。「津波と綾里博物館展」という展覧会の名称も皆で議論して決めた。面白いでしょ。神山は伊藤暁さんを講師に招いての大学院の設計スタジオ。プレゼミ、合宿、設計編、11月の講評会(ゲストクリティク=福島加津也さん)、そして12月の現地発表会と、なかなかタフなスタジオだったが得るものは多かった。もう1年やるが、次は環境に取り付き、環境を書き換えて生きる人間の姿を見据えるスタジオにしたい。

4(10-12月):2月に刊行した藤田・青井・畔上・今泉編『明治神宮以前・以後』の批判的展開に向けたシンポジウムを10月に実施(こちら)。登壇者の皆さんのおかげでぐいぐいと視界を開かれた。東京藝術大学大学院の「建築論II」の講義も10月に開始(こちら)。これは自分にとっては明大に来た頃から考えてきたこと(建築論)をまとめる絶好の機会になっていて、最近はこの授業が日常の思索と作業の柱になっている感もある。受講している皆さんも熱心に聞いてくれているし、しんどいが楽しい。それから11月は歴史的空間再編コンペの審査のため昨年2度目の金沢。学生たちの提案をじっくり議論する濃密なコンペで、その主題は建築-都市史の近年の展開とも完全にシンクロしている。


こうして振り返ってみるとけっこう色々なことをやっているが、ここで触れなかった書きものやイベントや当然ながら膨大な日常業務もあるわけで、じっくりものを考える余裕がないのと、自分の頭(=身体)でショートを起こすにはインプットが全然足りないということが悩みの種。とはいえやりたいことはあるので、また2016年も新しいことをはじめる。インプットとアウトプットの方法論みたいなことを練って動かないとダメだ。