『明治神宮以前・以後』の書評など

本年新春(2015年2月)に刊行された藤田大誠・青井哲人・畔上直樹・今泉宜子編『明治神宮以前・以後:近代神社をめぐる環境形成の構造転換』(鹿島出版会、2014)(→当ブログ内記事amazon)について、管見のかぎりですが以下のような新刊紹介や書評などの記事が出ましたので、備忘録的にメモしつつ、注目してくださっている皆さまに御礼を申し上げたく思います。聞くところでは今後予定されている書評もあるようです。

・山口輝臣著 書評 『宗教研究』384号(日本宗教学会、2015年12月)
・平山昇著 書評 『神園』第14号(明治神宮国際神道学研究所、2015年11月)
・石榑督和著 書評 『建築討論』6号(日本建築学会、2015年10月)
・加藤悠希著 文献抄録 『建築雑誌』1371号(日本建築学会、2015年5月)
・新刊紹介 『神社新報』(2015年4月27日)
・新刊紹介 『中外日報』(2015年3月13日)

 平山さんの書評は、明治神宮はじめ神社を「つくった人々」が本書の主題だとすれば、それを経験した人々の「受容」の側面の探求という課題を、また山口さんの書評は、本書の「明治神宮=構造的転換点」、つまり明治神宮決定論に対する慎重な留保の必要性を、それぞれ鋭く指摘しておられる。近代(モダン)というものが、歴史を構築しながらそのことによって自身を歴史的に差異化してゆく運動を含む以上、その構築者の視点をなぞる危険性に警鐘を鳴らしておられるということでもある。
 後者の「決定論」については、本書の構えそのものがそれを謳っており、とくに編者(とりわけ第1部の3編)の論考はそのシナリオを論理的+実証的に構成するべく書かれている。もっとも明治神宮というヒンジのまわりに全てが一挙に転回・転倒してしまうとはさすがにどの著者も書いてはおらず、転換のプロセスにそれなりの厚みを持たせてはいるが、懐疑的な立脚点からの検証的立論がなされているわけではない。土居義岳さんもこの山口氏の書評を読まれた模様(土居さんのブログ)。
 「決定論」の問題については、今年10月に、「明治神宮「誕生」の前史を考える:境内と社殿の近世・近代」というタイトルで公開研究会(→当ブログ内記事)を行い、批判的な検討を試みた。この問題は、本書のそもそもの構えとともに、著者の研究上の守備範囲に起因する面もあって、だから近世あるいは近代移行期の建築史を専門とする研究者の方々をお招きしたのである。これは来年2〜3月頃に『神園』に載る予定。2月28日には本書編纂の中心にあった藤田大誠氏の企画により公開書評会も準備されつつある。
 これからが楽しみだ。