「領域史」とはどんな運動なのか:『建築雑誌』2015年5月号特集「都市史から領域史へ」

kj_201505_territorial_history 遅ればせながら、『建築雑誌』2015年5月号特集「都市史から領域史へ」をとりあげたい。環境と人間活動の関係についての私たちの視野を力強く描き直していくひとつの運動が主題だ。


 この運動は、他でもない2011年3月11日の直後からある種の「うねり」としてひしひしと感じてきたものだ。まずはそのことについて、僕の目に見えていたこと、僕が関わってきたことを通して、ざっと書いておきたい(本当はもっとたくさんあるが端折る)。
 最初は、震災の年の12月に開かれた都市史研究会の第20回シンポジウム「危機と都市」だった。3.11後の4月初旬から学生たちと色々な作業をしてきた成果を報告する機会をいただき、ざっと100年間の三陸沿岸漁村の集落景観の変遷をたどりつつ災害と社会と国家の関係について議論させていただいた(→『年報都市史研究』20号に掲載)。その後2年間、日本建築学会『建築雑誌』編集委員長という立場でこの問題を(職能の観点を入れて)編集委員の皆さんと考えつづけることになったのだが、その仕事の終わりが見えかかった2013年夏に、都市史研究会の発展形として「都市史学会」が創立された。僕はまだ同誌の仕事に翻弄されていたのだが、しばらくしてHPを見て、この都市史学会の英文タイトルが「Society of Urban and Territorial History」すなわち「都市・領域史学会」とされていることに気づいた。都市史研究会はもちろん Urban History を掲げていたのだから、都市史学会は、その志向する方向性を静かに、しかし明瞭に書き換えて誕生していたわけである。そこに強い意思を感じずにはおれなかった。
 昨年(2014年)は、建築史学会の大会(→当ブログ内「景観のアーキテクチャ:建築史学会2014年度大会シンポジウム」)、日本建築学会都市史小委員会の年次シンポジウム(→当ブログ内「大地/地面/土地の三位相の複合としての「地」」)、そして都市史学会の大会(→公式サイト)という3つのイベントにたまたまコメンテーターとして出席させていただいたのだが、いずれも「領域史」の運動が具体的なかたちをなしつつあることが実感される場であった。
 振り返ってみて、3.11の持つ意味はやはり大きかった。それは都市史に危機・破壊・再生というダイナミクスを組み込ませ、また自然環境(大地)とそのダイナミクスをも組み入れさせる力として働いたといえるだろう。それに、いくつかの大学・研究室では若い担い手が組織的に育てられており、一方では独自の展開が必然的にこの方向に合流してきたという側面もあるが、また地理学や考古学などの分野で積み重ねられてきた蓄積や新たに開拓されつつある方法に接続していく動きも伴っている。注意してほしいのだが、「都市史」は建築学のなかの一分野、というわけでは必ずしもない。主として社会史と建築史の協働によって展開してきたところに大きな特徴がある。そして、かなり若い分野である。それがさらに多分野と接合しつつ「領域史」へと展開しようとしているのだ。こうしたすべての意味において、これはエクスパンシブであると同時にインクルーシブな「運動」である。「うねり」と形容した所以だ。
 本特集「都市史から領域史へ」は、いわばこの「うねり」が今どのような形をとりつつあるのかを(建築学という場に対して)可視化し、また運動の足場を確認しつつさらに前進させることを意図したものだろう。

 もちろん、領域史的な志向性は3.11にはじまったわけではない。「テリトリオ」と呼ばれるイタリアの歴史研究=環境保全の枠組みは1970年代末にはじまっていた(→p.26福村任生)。日本の「文化的景観」はこれに類比できるものだろうが、それが大幅に立ち遅れたのは、やはり開発主義的な国家の路線にかかわっていただろうし、都市に引き寄せていえば、周辺部が「郊外」すなわち拡張のフロンティアとして位置づけられてきたからだろう。都市(チェントロ・ストリコ)の歴史=保全の方法が「ティポロジア」であったとすれば、その周辺の(あえていえば第一次産業の)拡がりを捉えるのが「テリトリオ」なのだ。その関係を肌身をもって知る陣内秀信先生の「水都」論が(周知のとおり)長い取り組みの蓄積の上にあり、また歴史と実践とが一体的であるようなかたちでつねに構想されてきたのは当然だが貴重なことなのだ(→p.40陣内秀信)。
 災害と再生への着目も以前からある。僕もその一端をつくってきたという自負があったからこそ、3.11以後に三陸沿岸のことをやりはじめ、今も縁あって続けている。最近では台湾都市史を、テリトリオ的な視点をベースに、包括的に書き換える試みをはじめた(大河川流域のなかの都市の布置と結合・・・災害による破壊・再生/分裂・移動・・・都市・集落の開発スキームと社会構造・・・構法技術と材料流通・・・日常の生活実践といったものを、多層的に結び合わせる試み)。
 また一方で、建築集合としての市街地という視野を超え、風景論を含むある種の人文科学的な問題系において自然や地形を捉え、その枠組から都市史を構想する取り組みも脈々とあって、それはいずれかといえば関西の伝統かもしれない。逆に、本号でプロモートされる領域史は、地殻の組成や運動から、地表面の形成と変動、その上に展開する人間の生産活動あるいは権利の対象としての土地、というようなむしろ自然科学と社会科学を結合するようなドライな視野の取り方に特徴があるとはいえるかもしれない。ただ、イタリアのテリトリオがパエサッジオ=風景論という出自を有するように、人文的なものも自然=社会科学的なものとの緊張において再考されうる。

 本特集記事を通読すれば、こうした「領域史」の特質と関心の拡がりがよく伝わってくる。これは何よりも特集のまとめ役である松田法子さんの厳しい目によるものだと思うが、それはあえていえば「領域史」を(独自に)担おうとする強い意思なしにはありえないということを強調しておきたい。たんなるバランス感覚ではない。

 それにしても、「領域史」が目指す包括的な地平とは何だろうか。何らかの「全体」が志向されていることは確かだが、その全体とは何だろうか。地殻・地表から生産・技術あるいは制度・文化までを包括する「領域史」が、たんなる物理的な対象範囲の拡張でないことは明らかだ。また、学問分野(つまり論文生産)の技術的な拡張ということでもむろんない。
 「領域」というのはたぶん仮説であって、所与のものではない。たとえば、「都市史から領域史へ」が過去を新たなかたちで描き直すことであるとしても、それはおそらくいま現に私たちを取り巻いているのとは違う「世界」の可能性を描くことと密接に関わらざるをえないのではないか。「千年村」運動(→p.38中谷礼仁・堀井隆秀)はこの点で際立っている。仮説の発見性。自明化した今日と、可能的に描き出される「世界」との距離。普遍性。すばらしい。
 一方で特集全体を通して気になったのは、「領域史」がある種の運動であり、「領域」や「全体」も現在との緊張において立ち上げられるものであるにもかかわらず、この特集に明瞭な争点のようなものがほとんどないことである。これは何を物語るのだろうか。
 いずれにせよ、こういったことをどう考えるかが、「領域史」が運動として生き生きとした持続性を持ちうるかどうかにかかわるはずだ(逆にいえば「領域史」に拘らなければならないということでもない)。僕もいまそれを模索している。今年の夏もそれを考える調査になると思う。
 とりわけ巻頭の伊藤毅先生へのインタビュー(→p.4-10)を、そういう気持ちで噛みしめつつ(つまりは共感と敬意とともに)読んだ。今後何度も再読することになるだろう。

 研究室諸君、本特集は必読です。台湾・綾里・神山・壱岐へ旅立つ前に是非とも善処されたし。