大地/地面/土地の三位相の複合としての「地」

20141212.Fri. 日本建築学会都市史小委員会シンポジウムが行われ、コメンテーターとして参加したが、とても面白かった。早起きして京都へ行った甲斐あり。

日本建築学会主催 建築歴史・意匠委員会 都市史小委員会シンポジウム
「都市と大地」シリーズ1
「都市史の基層として大地・地面・土地を考える」

日時:2014年12月12日 10:30〜17:30
会場:京都工芸繊維大学工繊会館
趣旨説明 松田法子(京都府立大学/建築史)
報告1 金田章裕(元人間文化研究機構長・京都大学名誉教授/人文地理学)
   「大地へのまなざし」(基調講演)
報告2 河角龍典(立命館大学/地理学・環境考古学)
   「都市史研究とジオアーケオロジー:古代日本における都市開発と微地形」
報告3 樋渡彩(法政大学/建築史)
   「都市の領域と流域:ヴェネツィアの繁栄を支えたテッラフェルマの流域」
報告4 福村任生(東京大学/建築史
   「建築から大地へ:20世紀イタリア都市計画の射程とその方法論」
コメント1 岩本馨(京都工芸繊維大学/建築史)
コメント2 青井哲人明治大学/建築史)
全体討論

 都市史小委員会では2006年度から4年間を1クールとするシンポジウム・シリーズを継続している。2014〜17の第3クールは、「大地と都市」を基調テーマに毎年異なるオーガナイザーがシンポを企画する。
 今年2014年度担当の松田法子さんの提案は、「都市と大地」という問題系を、「大地/地面/土地」の三位相の複合としてモデル化しようとするものだが、いやこれは冴えている。「大地」は地面より下にあって大きな厚みを持つ地形の骨格。「地面」は大地の上の表層土壌、いわゆる地表面。「土地」はこれらを切片化した社会的位相であり、人間活動と制度の体系にかかわる。これは「地」をたんなる層の重なりとしてでなく、異質な原理の緊張あるダイナミクスとして捕まえる包括的な枠組みになりうる予感がある。たとえば・・・「地面」は、「大地」の論理によってそのつくられ方が左右されるが、他方では「土地」の論理によってつくり変えられもする。「大地」の激しい運動がいきなり「地面」を奪い去り「土地」の再編を強いることもあり、また「地面」も長期的には相当に大きく変動して「土地」を揺さぶる。「土地」が深く「大地」に介入することも決して少なくない。
 次に、こうした諸関係を理解・記述するのにふさわしい地理的枠組みを考えてみよう。つまり「大地」や「地面」はそれ自体の拡がりとまとまりがあり、人間活動の体系性がそこに緊密な関係をもって重ねられるわけで、それを捉えるのに適切な地理的単位すなわち「圏域」の発想が必要になるということである。人間活動の圏域にはたとえば生産・経済圏があり、統治圏もそれと重なり合うことが容易に想像されるが、経済と統治がつねに同調するとは限らないし、他の圏域との連関もあるから、領域の再編は鋭い政治的緊張を孕みながら起こるだろう。
 こうして、「都市と大地」という問題系は都市史理解に多面的で複雑な緊張を持ち込みうる。

 金田章裕先生のお話、とくに『微地形と中世村落』(吉川弘文館、1993)にもとづく基本微地形/微細微地形と人間社会の活動/制度の対応関係(「地面/土地」のセンシティブな関係)に関する復元研究の紹介は、先生ご自身はずいぶん昔の研究とおっしゃってはいたが、すこぶる面白くて興奮した。たとえば東寺桂荘などの荘園文書から失われた中世の景観を復元するプロセスは、条里制グリッド単位の登記情報から、いわばマス目毎の土地利用の“割合”だけが表現されたメッシュマップを作成し、そのデジタルな(不連続な)地図からアナログ(なめらかに連続した)な河道や土地利用の画像を導き、その土地利用の特質から逆に微細微地形を復元してゆくといったきわめて鮮やかなものだった。また、人間活動と「地面」との関係において「平坦化」(すなわちデジタルな不連続面の形成)がひとつのキーワードになることにあらためて気づかされた。
 河角龍典先生の研究は、ジオアーケオロジー(地考古学)の方法によって都市史研究の基盤に「大地・地面」の厚み(物理的な深さ、時間的な厚み)を持ち込もうとするもので、考古学データとGIS技術とを大きな武器としている。たとえば「大地」の立場からいえば平安京とは「更新世段丘面I・II/鴨川流域扇状地帯/桂川流域自然堤防帯I・II」に分けられ、市街地の大部分が扇状地の緩斜面に乗っていること、宮域は段丘面に位置し、その東南端にのちの二条城が立地することなどが客観的に把握される。桂川流域は京域面積の10%程度にすぎず、右京が桂川の反復的氾濫のために衰退したとする説は当たらない。「地面」の観点からいえば、千年強の間に鴨川も垂直方向に激しく変動しているため、市街地の水害リスクは時期によってまるで違い、また洪水による地表面の上昇も時期や場所によって違う。京都の地面が最大で3mも上昇しているとはまったく目から鱗であった。
 樋渡彩さんのヴェネツィア研究の独自性は、一般には海洋国家として理解され、それゆえにアドリア海−地中海に向いてきた従来の研究動向に対して、むしろラグーンの背面に拡がり、また立ち上がっていく「大地」に注目するという視点の反転にある。この大地が「テッラフェルマ」(動かぬ大地)と呼ばれることが逆説的に示すように、ヴェネツィアは元来(海と陸の両方から運ばれた土砂によって形成された)ラグーンのなかの砂の高まりにすぎなかった。頼りない「地面」に木杭を多量に打ち込んでつくられた第二の「地面」には何の資源もなく、他ならぬ杭のための木材を含む資源供給は動かぬ「大地」に依存せざるをえなかった。それゆえヴェネツィア共和国は領土(テリトーリオ)を獲得・保全せねばならないし、いくつかの河川流域に「大地・地面」上の位置に従って機能分化した流通・産業拠点が形成される。
 福村任生さんの報告は、20世紀イタリアの都市計画史を「建築から大地へ」というパースペクティブにおいて辿るもの。緻密な思潮史的整理がなされ、用語集や年表も含めて報告者の努力と力量を感じさせた。単純化していえば、「centro storico 歴史的中心」の保全から出てくる建築学起源の「tessuto 組織」や「tipologia 類型」の観点・方法と、農業景観の人文的成り立ちにアプローチする地理学・歴史学起源の「paesaggio umano 人間的風景」とが合流するところに、非都市領域の歴史的構造を「territorio storico 歴史的領域」と呼び、「大地・地面」と人間活動の関係が景観として物化された状態を読解・保全する枠組みが成立してゆく、ということになるだろうか。ここまで来れば、やはり是非ともこうした思潮的系譜と政治的脈絡との交錯を描き出してほしいと思う。
 20世紀は、多かれ少なかれ前近代と近代とのアマルガムであった段階と、それなりに一貫した強力な近代的政策技術体系が確立された段階とからなると思うが、その移行期が1930〜60年代であり、だから様々に対立する思想が政治と緊密にかかわりながら一挙に噴出し、戦わされたのだろう。このシンポジウムの枠組みである「大地/地面/土地」の関係も、この移行期を経て大きく変わった。「土地」側の論理によって「大地」を暴力的に刻んだり、元来は災害リスクの高かった「地面」が「土地」化されたりするようになるのはその一端だ。