20160925「都市としての闇市」・・・もうかなり前になりますが。

闇市研究会主催のこのシンポに、日本近世史の小林信也先生、社会学・都市論の吉見俊哉先生とともにコメンテーターとして参加させていただきました。ほんとはこの研究会のメンバーだったのですが前に足を洗い(笑)、少し時間が経ちました。この間にヤミ市研究会は『盛り場はヤミ市から生まれた』および『同 増補版』を出していますが、さらにその後各メンバーが個別あるいは共同で進めつつある作業群を「闇市研究のフロンティア」として提示する試み。

公開研究会「都市としての闇市 闇市研究のフロンティア」
 2016年9月25日(日)13時〜17時30分
 東京⼤学⼯学部⼀号館3階建築学専攻会議室
 司会:橋本健二
 主旨説明(初田香成・10分)

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全体質疑(20分)
まとめ(橋本健二・5分)
コメンテーター
 青井哲人(建築史・明治大学理工学部建築学科准教授)
 小林信也(日本史・東京都公文書館
 吉見俊哉社会学東京大学大学院情報学環教授)

闇市研究」は、共同研究プロジェクトとしては、かなり面白いと思う。色々な分野の研究者が「闇市」という対象を共通項として集まる、ということが面白い。逆にいえば、プロジェクトによって闇市の像が多角的に充実した立体となっていくだけでなく、各々が(プロジェクトにおいて闇市を位置づけている)フレームワークパースペクティブが更新されていかなくてはあまり意味がないと思うのだ。
そんなことを考えたときに重要な視点となるのは、闇市にまつわる「量」と「政治」なんじゃないかと僕は思う。闇市というのは闇取引の市場であって、それを一般の市場から区別するのは「ヤミ性」だ。したがって通常(というか定義上)それは地下化していて見えないのが当然である。しかし太平洋戦争の敗戦は、本来なら不可視のヤミの空間を、地上に、大量に、出現させた。それゆえに、ある種の空間的・景観的な特質もかたちづくられた。これらが「闇市」(戦後闇市)の基本的な特質だろう。地理的には主要駅だけでなく郊外部にまで分布し、社会経済的には出自の異なる無数の素人を商人に変え、また表象的には統制解除(=ヤミ性の解消)後にも維持・強化されるようなイメージを形成し、そして都市政策的にはこれまた圧倒的な経済復興・成長とぶつかって整理対象とされていった・・・という一連の事情が、私たちの「闇市」理解を強く規定している。これらはいずれも「量」なしには起こり得なかったことだろう。
 次に「政治」である。ヤミが地上化する事態が大量に生じたのは、行政・警察機構がイリーガル・セクターと手を組まざるをえないほどに、通常の経済が麻痺したからだろう。しかも商業者は大量の「素人商人」である。いくつかの部門が抜き差しならない利害関係をもって有機的に協調する、一種のコーポラティズムをそこにみることができる(たとえ消極的な選択であったとしても)。突飛なことをいうと、占領軍が天皇を担ぐ、という構図があらゆる戦後的な協調を吊り支える、象徴的な協調であったという見立てもできそうな気がする。
 逆に、統治者にとって、この種の協調はあくまで社会統治の手段だったのだから、闇市が狂乱状態や暴動・革命の原因になるようなら取り締まらなければならない。それ自体、微妙なバランスの求められる政治的問題だった。そのうえ店主も客も素人だったのだから、闇市は社会一般からみて特殊な領域だったのではなく、ほとんどの国民がその一部だったのだ。闇市の制御は相当に難しい問題だったのではないか。
 しかも、社会の一部には闇市への倫理的な憎悪がみられた。逆井さんによれば、その憎悪が社会的・民族的な周縁性に投影され、闇市を旧植民地・旧外地人(第三国人)に結びつける文化表象が形成される。それは保守的政治家などにも顕著な傾向だったようだし、エリート文化人の場合もそれが大衆憎悪と結びつくかたちで意外に根強かったのではないか。では、左翼の闇市観はどうか。逆井さんに尋ねたところ、それも単純でなかったという。左翼にも、ヤミ性を倫理的に間違ったもの、封建的・旧弊的なものとして嫌悪するグループもあれば、むしろ民衆的リアリティそのものと賞賛し、さらに積極的にオルグ(組織化)の対象として捉えるグループもあったという。占領軍・政府はこの後者の側面に注意を向けざるをえなかっただろう。1947年のゼネスト中止命令以降の、いわゆる“逆コース”のなかで闇市の取締が強化されていったのも当然である。
 そんなわけで、橋本先生の「社会移動」(階層間の移動)の計量分析を歴史研究に応用するアプローチはマクロな社会構造・社会変動のなかに闇市の位置と輪郭を与えており、これは文句なしに素晴らしかったのだが、加えて、表象文化論の立場から闇市の「政治」に切り込んだ逆井さんと、占領軍と闇市との関係に迫るために基礎的な作業を積み上げつつある村上さんに、僕は多くを教えられ、刺激された。また議論しましょう。