アーキテクトについて考えさせられる。

2011.09.25 Sun. 三宅理一先生がコーディネートされた日仏都市会議2011「東日本大震災から学ぶこと」@日仏会館(恵比寿)に行ってきた。充実したプログラムでたいへん勉強になったのだが、個人的には建築設計で飯を食う人とは何かということについて考えずにはおれなかった。一言で言うなら、たぶん、他者と関わることへの倫理の立て方みたいなことかな。登壇された設計者のあらゆる言葉の端々に、そのあたりの差異がよく現れていたように思う。英語の「アーキテクト」という言葉が英語圏の市井の感覚でどう受け取られているのかは僕には分からないが、はて日本語の「建築家」はどうなのだろう。話が飛ぶようで飛ばないんだけど、ゼネコンの設計者ってとても重要だね、日本的文脈では。ルドフスキー的な「建築家なし」ならばカウンター的なパンチ力なので爽快なのだが、設計のプロだけれどもしかし基本的に匿名性を前提とする職能人たちはまだ正当に語られていない。1970年代の神代雄一郎の巨大建築批判も現代の文脈では読み方に気をつけた方がよいかもしれない(意図的に捩じれた読み方をすべきかもしれないとすら思う)。戦後的理念型としての「建築家」がそのまま今日の「建築家」につながっているわけでもなかろうし。最近、日本の近現代都市のありようを日本的文脈に即して捉える地道な作業を何人かの人が先鋭的なかたちで始めているが、設計者についても同じようにちゃんと考えないといけないと思う。