「ただ在る」

 牧紀男『災害の住宅誌:人々の移動とすまい』(鹿島出版会、2011)読了。初田香成『都市の戦後:雑踏のなかの都市計画と建築』(東京大学出版会、2011)も1/3くらいまで読んだ。まったく性質の異なる2冊だが、大局的には同じ思考空間のうちにある気がするし、自分もそこに参加しているという感覚がある。都市や住まいはどんな力によって生まれ、変わっていくのか。理想とかイデオロギーの問題じゃない、そのように「在る」のだということをまず認めよと、この2冊はそれぞれの仕方で訴えてくる。それは、なぜ今までそのことが認められてこなかったかという問いを投げかけるし、同時に、そういうのはシニシズムじゃないとしてもクールすぎるんじゃないのという反響も自分のなかで(自分への問いとして)繰り返し聞こえてくる。
 たまたま初田さんの本を読みながら森山直太朗聞いてたら、「優しさ」って曲に、「本当の優しさとは/優しさについて考えることではない/たとえあなたがいなくとも/世界はただ在るのだと認めてみせること」って一節があるんだね。ごめん。恥ずかしいから先に謝るけど、何だか涙出た。大きな何かへの兆しにふれる瞬間を言っているからだと思う。
 3.11で思考の前提が変わったという人は多い。僕もそう思うけど、それをやたら強調する人がいたら眉にツバぬろうね。人が主体的に思考空間を選んでいるように言うときはだいたいアリバイ的な便乗なんだから。お前がいなくても世界はある。むしろ同じことを考えた先人(彼らは世界の一部です)は必ずいるし、人はいつだって世界からやってくる兆しみたいなものに考えさせられているんだから。もちろん、たとえそうでも考えてみようとすることはできるし、その結果が世界の一片をかたちづくるはずだから、そういう態度で考えればいいとさしあたりは思う。