1904年・1906年の台湾・嘉義大地震の被災状況の写真・スケッチ等

台湾も地震国。日本の植民統治時代では1935年の中部大震災がよく知られているが、ここでは1904・1906年の2度にわたる嘉義での震災について各報告書の画像をFlickrにあげる。これらは植民地支配(1895-1945)のなかでも早期に属すこともあり資料的価値が非常に高い。被災状況のほか、避難所・救護施設などの写真もある。なお、1904年の震災では当時24才の若き佐野利器が被災調査に派遣されており、その報告書(1905年)は我が国の耐震構造理論の出発点となった「家屋耐震構造論」(1915年)の10年も前のものである。『すまいろん』2010年冬号・特集「災害と住文化」でも一部紹介した。同特集必読。
(1) 1904 嘉義『震災予防調査報告第五一号』(震災予防調査会、一九〇五年七月) 図版
(2) 1906 嘉義『嘉義地方震災誌』(台湾総督府民政部総務局、一九〇七年) 図版

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文献(1)より。佐野利器報告中のスケッチ。新港(現在の嘉義県新港郷)の街屋(町家)。
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文献(2)より。梅仔抗(現在の嘉義県梅山郷)の被災状況。

*『すまいろん』の記事タイトルならたしかCiNiiで探せるのだが現在サービス休止中。雑誌見つけたら目次載せます。