九州から帰りました。

研究室の学生たちと5日間かけて九州北部(長崎・佐賀・福岡・大分)を廻る。以前に見たことのあるものが1/4くらいあるがそれも10〜20年前だから建物も環境も僕の見方も変わっており新鮮だった。前半は表現主義的傾向の強い村野・白井・今井の建物を集中的に見たのでその歴然たる差異みたいなものを感じられたのはよい成果だった。また戦後復興期に形成された闇市・マーケットの現在の姿をいくつか見たが、とくに長崎の大黒・恵美須市場と、八女の土橋市場はきちんとフォローすべきテーマを蔵した場所だと思った。色々と出会いもあり、教えられることが多かった。感謝します。それから幹事・会計担当の皆さんは本当にお疲れさま。ありがとう。
個人的には11月にまた九州に行くので、そのときは別の視点で長崎を廻りたいと思っている。

以下、訪れた場所のリストと一言コメント。
01) 大浦天主堂(ベルナール・プティジャン、ルイ・テオドル・フューレ・長崎市・1864)・旧羅典神学校(マルク・マリー・ド・ロ長崎市・1875)・大司教館(マルク・マリー・ド・ロ長崎市・1914)/ 神学校の階段室は圧巻(photo)。菱組天井が立体的に展開(photo)。大司教館もベランダの天井が菱組だが、軒先は小屋裏を見せており、隅扇垂木(photo)としている(と不覚にも学生達に指摘される)。
02) 日本二十六聖人記念聖堂・記念館(長崎市・今井兼次・1962)/ 記念館は工事中。聖堂はかなり単純な幾何立体の構成に、ガウディ的な双塔が立ち上がり、開口部など様々なシンボリックな図像に満たされる(photo)。若い聖職者の方が青焼き原図を見せてくださる。塔の開口など知らなかったことがよく分かる。
03) 親和銀行大波止支店(白井晟一長崎市・1963)/ 初めて内部を見た。参りました。柱頭もなく打ち捨てられながら屹立するドリス式オーダーがとんでもない存在感であった(photo)。
04) 大黒市場・恵美須市場(長崎市・1956)/ 駅裏の第2魚市等が市の事業で移ってきたもの。小さな川を暗渠にして地盤とし、川の流れに沿って中央に通路をとり、両側にかなり奥行きの浅い店舗が並ぶ。2層以上は住居。奥行きが浅いためこの「町家」の背面は増築のブリコラージュが壮絶な光景をつくる(photo)。あと1〜2年で撤去予定とのこと。
05) 親和銀行本店(白井晟一佐世保市・1967)・同コンピュータ棟(1971)/ 事前に連絡はしたが時機があわず内部の見学ならず。残念。いつか必ず。
06) 大隈記念館(今井健次・佐賀市・1963)/ 二十六人聖堂もそうだが、こちらも表象の建築。館長さんが「あそこは大隈の角帽とマント、あそこは眼、そいで鼻と口があって、あっちは負傷した右足・・・」と一切を表象で語りきっていたのに妙に感心した。
07) 市村記念体育館(坂倉準三・佐賀市・1963)/ 坂倉はフリースタンディングじゃない方がよい、とG君が言ってた。同意。これ以後、佐賀市内はすべて佐賀城内堀の内外。
08) 松原マーケット(佐賀市・戦後復興期)/ 現在はかなり歯抜け状態。土地は佐嘉神社境内の西から北に展開。神社有地に連旦する境外地はおそらく鍋島報效会が所有管理(photo)。この後、外堀の内外を街歩き。他にも川(堀)に半分迫り出した杭上建物の町並みがある(photo)。かつては料理屋やスナックの多い盛り場だったのではないか。
09) 佐嘉神社佐賀市・1933)/ 鍋島直正・直大を祭神とする旧別格官幣社。昭和期内務省としては吉野神宮(奈良・1927-30)に続くプロジェクト。それ以後の内務省様式の特徴が色々現れているように思う。
10) 佐賀県立美術館・博物館(高橋靗一+内田祥哉・佐賀市・1970)/ 休館で入れず。
11) 佐賀県立図書館(高橋靗一+内田祥哉・佐賀市・1969)/ 外観からは想像できないレファレンスホールの身体的スケールがとてもいい。整然たるグリッドから角度を少しふったコンパクトなホールにぐるりとロフト状の回廊がつき、そこから周囲の閲覧室や中庭が水平に透けていく。回廊手摺は書見台にもなっている(photo, photo)。近くにあったら毎日通う。
12) 久留米市民会館(菊竹清訓久留米市・1969)/ 菊竹氏の出身地での仕事。この頃の公共建築は正面性が明瞭で、主要部が基壇上に持ち上げられていて大階段でアプローチする。長谷川堯のいう「神殿」に最も似つかわしい建物のひとつ。
12) 土橋市場(八女市・戦後復興期)/ 引揚者の露店が、八幡宮という神社の氏子の話し合いにより境内に移転した興味深い例。まちづくりに携わる建築家の中島氏と白水さん夫妻他に案内いただく(photo)。中島氏によると町家の櫛比する町並みに取り込まれた露店の例もあるようで、いずれにせよ八女の商家の懐の深さを感じさせるとおっしゃっていた。とても興味深いお話だった。当日の様子は白水さんがブログに書いておられるのでご覧ください(→こちら)。感謝。
14) 八幡市民会館(村野藤吾八幡市・1958)/ 館長さんに丁寧に案内していただく。時代的にもローコストであったに違いないが水平の開放的な回廊の上にマッシブな閉じた塩焼きタイル張のホールとの単純な組み合せが実に威厳に満ちている(photo)。ホワイエの朱色の柱は、あれはどうやって仕上げているのだろう(photo)。
15) 北九州市立八幡図書館(村野藤吾八幡市・1955)/ これまたローコストの公共建築。ピロティの柱のわずかな丸みが柔らかい陰影となって効いているのが印象的だが、壁面のパタンはじめ全体的に僕はついていけない。
16) 八幡信用金庫本店(村野藤吾八幡市・1971)/ 現在は福岡ひびき信用金庫本店。内部はダメと言われていたが、偶然出会った総務部長さんが豪傑で仕事中にもかかわらず我々20名を引き連れて館内見学ツアーをしてくださったうえに、確認図面一式を取り出して見せてくださり、最後は建物をかたどった貯金箱を頂戴して感激。ありがとうございました。図面を読むと、形の背後の論理も見えてくる。それから街路景観のつくり方は秀逸(photo, photo)。
17) 北九州市立美術館(磯崎新北九州市・1974)/ 自治体あるいは首長のモニュメントとなるべき宿命への磯崎なりの誇張されたオマージュというべきか。内部空間も構成という視点でみれば面白いと思うが馴染めない。
18) 旦過市場北九州市・1947・昭和30年代)/ 神嶽川(紫川支流)東岸に並ぶ、川に張り出した杭上連棟式マーケット。目測だが、奥行き7m前後で、間口は3〜4m前後が多いが1m程度のものまで様々である。昭和30年代にこうした姿になったと思われるが、それ以前の権利関係を示すものだろう。いずれにせよマーケットの形態・様相をきわめてよく維持している例。市街地再開発事業が動いているようだ。
19) 北九州市立中央図書館(磯崎新北九州市・1974)/ きれいに補修・改修されていた。市立美術館と違ってこちらは空間を囲い込むロジックとスケールがあって好きだ。市民にも愛されている模様で、個々の場で様々な所作が見られる。歴史的参照という点でも、リブ・ヴォールトはロマネスクとゴシックと、あるいは新古典主義の特質を兼ね備えていて多重性があるのがいいと思う(photo, photo)。
20) 中津市風の丘葬祭場(槇文彦中津市・1997)/ 文句ございません(photo, photo)。
21) 末田美術館(原広司湯布院町・1981)/ 建主であり展示作品の制作者でもある末田栞さんに会い、お話をうかがったのがとても印象的だった(photo)。
22) 湯布院の小浴場(湯布院町)/ 男女別の靴箱と浴室と、外部に洗濯場がついたとても小さな浴場。外形はルドゥーのようで、直方体に切妻屋根をかけ、中央にけむり抜きの塔が建つ。
23) ラムネ温泉館(藤森照信竹田市・2006)/ 浴室の内部空間には驚かされた。屋根の変化をそのまま反映した複雑な立体的空間が左官仕事で全面塗り回されている。あと炭酸泉に45分くらい浸かっていたがこれはいい(1時間以上でないと効能ないとS君が教えてくれてショック)。
24) 白水堰堤(小野安夫・竹田市・1938)/ 素晴らしかった。RC堤体に石張りで、地方技師と伝統的基盤を持つ石工たちとの共同作業が想像されるが、何と言っても一般に私たちが知るダムと違って、いかに自然地形に順応し、いかに水を柔らかく流し、いかに堤体を長く維持するかといった設計の基本的条件設定があの美しさを生み出しているのだろう(photo, photo)。
25) 大分県立図書館(磯崎新・1966・1997改修)/ 木製模型の展示はすごい。かえすがえすも医師会館がなくなってしまったのは残念。