『京城トロイカ』、植民地下朝鮮半島の街と住まいも。

安載成著(吉澤文寿・迫田英文訳)『京城トロイカ』(同時代社、2006)を読んだ。日本植民地支配の後期から解放後にいたる間に活躍した社会主義運動家たちを描いた小説である。

「さあ、この死に際に立った老いぼれから何を知りたいのですか」

植民地下京城(ソウル)で独立と社会主義革命を目指して活動した京城トロイカ(李載裕らを指導者とするグループ)。その生き残りである李孝貞女史に出会った著者に対して、90歳になろうというその老女が「いたずらっぽい笑みを浮かべて」突きつけた言葉。この出会いがなければ、本書は生まれなかったと著者は書いている。
著者が形式的には小説だがドキュメンタリーと言ってよいと自負するように、一読すれば膨大な資料群にこの老女の証言が温度と匂いを与えるかたちであの分厚さが成立していることは間違いなく、息を止めて読んでいる自分にふと気づくこともしばしばであったが、それにしても背後の膨大な作業量を想像すると気が遠くなりそうだ。植民地下の産業、生活風俗、住宅、都市景観などなどについても深い理解がないとこれだけの時空は描き出せない。
「清渓川の堤防の上に南京虫のようにびっしりと群がった貧民窟」、「新設洞の…日本人の主人が労働者に間借りさせるために作った、10部屋以上ある安宿」、「父が昌徳宮の前の益善洞に新築してくれた、きれいな瓦葺きの家」などなど。この3つだけでもかなりの階層性がある(つまり都市の把握が立体化される)。労働者として工場に入って労働運動を組織する彼らのアジトは、つまりは労働者の住まいとしての貧民窟であるから、その描写は頻出する。最後の瓦葺きの家は、比較的富裕な田舎の親が京城に出て行った息子たちのために買ってくれた家だが、都心の土地が切り売りされて「韓屋」が建設されるという、1930年前後のソウルに広範に見られた不動産開発の一例ではないかと想像してみたい。真中のケースでは土地を買い集めて不動産経営するのは日本人だ。これらは植民地下で進行したソウルの工業化・都市化がもたらした結果の一端であろう。都市空間の大部分を占めるこうした風景を頭に置いて現在のソウルをとらえなおすと、その迷宮のごとき都市空間の足下に日本の植民地支配があるだろうことも直感的には分かる。
ところで、つづいて読み始めた布野修司・韓三建・朴重信・趙聖民『韓国近代都市景観の形成:日本人移住漁村と鉄道町』(京都大学学術出版会、2010)は、ソウルではなく、李朝時代の邑城、そして鉄道町や漁村といった朝鮮半島の地方の一般的な景観が、植民地支配のなかでどのように変容もしくは創出されたかを探求した本。韓三建さんは僕が修士課程(もう20年前か)にいたときの先輩で、その頃すでに地方都市の地籍図をコツコツ分析して、「邑城の日本化」のメカニズムを指摘する画期的な博士論文を書いた。計画史ではなく、計画によって都市がどう動いたかを明らかにする都市史研究だったから、僕が台湾都市を歩きはじめたとき、(方法は全然違うけれど)つねに意識してきた。ソウルは突出して資料・研究が充実した都市だが(それでも解くべき問題はたくさん残されているように思うが)、むしろ地方都市においてこそ植民地支配のインパクトが浮き彫りできる面もあるだろう。楽しみに拝読したい。