第5回明治神宮史研究会+第1回神社と「公共空間」研究会
が、昨日、渋谷の国学院大学にて行われました。10月末には明治神宮講堂にてシンポジウムを開催する計画もあり、問題提起に重きを置きつつ最初の中間報告をし、南のクニよりさる御仁をお招きして討議するかたちになる予定です。9月に入ったら告知できると思います。
ところでこの研究会のメンバーである畔上直樹氏から、歴史学研究会編『由緒の比較史』(シリーズ 歴史学の現在12、青木書店、2010)に所収の畔上論文「戦前日本の神社風致論と明治天皇の「由緒」」を頂戴しました。世界的にみて森を伴う疑似自然的な宗教施設というのはきわめて特殊だと僕は思っています。植民地では実際に都市や集落のかたわらに頑張って森をつくっているわけでその特殊性が際立つのですが、社殿・境内林・地形・都市といった環境セットのデザイン・マナーとそれを支える学知・技芸のありようが、明治と昭和で大きく異なっていることは拙著『植民地神社と帝国日本』(吉川弘文館、2005)でも書いたところです(かなり乱暴でしたが)。で、あいだに挟まれた大正期(1910年代〜20年代)に大きな変節があり、なかでも決定的役割を果たしたのが明治神宮造営であることは間違いない。畔上さんの上記論文は、そのあたりのことを、とくに林学者・造園学者たちの思考空間の形成と転倒・展開といったかたちで、大胆かつ丹念に跡づけておられます。これで僕も心置きなく引用できるというものです。ありがたい。僕はあらためて建築をちゃんと読み直して問題提起をしたいと思います。環境セットが論理整合的に構成されるのも大正期以降の特徴のひとつなので、建築も林学と何らかのかたちで照応するはずです。