代行者としての人間

というコンセプトがクリストファー・アレグザンダー『形の合成に関するノート』Notes on the synthesis of form, 1964/稲葉武司訳、初版1978)に出てくる。自覚されてしまったデザインという領域が立ち上がる以前(必ずしも年代記的な前後ではなく、いつでもどこにでも「以前」と「以後」は遍在している)においては、「形をつくる人は単なる代行者」であると。何の?    形の生成と動的平衡というプロセスの代行者。これはきわめて重要なモチーフである。実は今日、動的平衡論をテーマとするサブゼミで学生たちが黒田泰介さんの『ルッカ一八三八年』アセテート、2006)と僕の『彰化一九〇六年』アセテート、2006)をレジュメにまとめてきたのでちょっとびっくりしたのだが、同書が生まれるきっかけになったフォーラム「都市の血肉」(2005)の討議の主題は、あらためて思えばこの「代行者としての人間」というモチーフに凝縮される。