未来派の料理ってどんなんだ?

僕は授業の準備のためによくネット検索をする。情報の判断と使い方はそれなりにきちんとしないといけないけど。たとえば近代建築史、西洋建築史で、その辺の教科書や図集に掲載されようはずもない詳細な情報が知りたい時は、Wikipediaでも英語版を繰ってみるとかなり充実しているし、語彙とかけっこう発見的な勉強にもなる。で昨晩は今週の授業で20世紀初頭のアヴァンギャルドを喋るので去年とは違う味付けができないものかと(+自分のなかでも怪しいところを補強的に勉強もする)、未来派について調べてみると、この運動が文学から絵画、彫刻、演劇、映画・・・といった広がりを持つのは無論だが、「and even gastronomy」とある。料理? というわけで世界卓球男子を横目に見ながらみつけたのが「未来派料理宣言」。(→このサイト
「口がゴミ箱になっている」。「拝金主義者どもの唾棄すべき攻撃から口を守りたい」 おー。ひょっとして盛りつけもジャコモ・バラとかウンベルト・ボッチオーニの絵画みたいに激しいのだろうか。

未来派料理宣言:ジュール・マンカーヴ(1913) (出典:ロミ『悪食大全』作品社、1995)

調理場よ、悪臭漂う牢獄、腐肉に満ちた穴倉よ、不潔きわまるルーが仕込まれる怪しげな悪の温床にして、素性の知れぬ悪党どもさえ吐き気を催す臭い食い物をこねくり回す、悪臭芬々たる洞穴よ。その食い物が、毎日決まった時間に大口開けて、決して満たされぬ食欲を少しでも癒したいと願う何千という人間たちにあてがわれる。大昔から人間、ああ、獣というべき人間どもは食い物を必要としてきたのだ。『まだ食べていない』などと言いながら。
人間には生来味覚というものがあり、口にはその充分なる力がある。それを押さえつけ、駄目にしようと躍起になっている輩がいる。無知蒙昧なだけでなく卑劣なあたまの輩。シェフなどと大仰な呼び名をつけて恬として恥じず、その名の効験に胡坐をかいている輩。奴らのせいで、本来最も強烈な喜びの中心たるべき口が単なる咀嚼器官に成り下がっている。
食事の妙なる快楽のためにある口がごみ箱になっているという事実。
延々と続いてきたこの状況、人間を反芻動物の程度にまで貶めかねないそうした状況を変える時が到来したのである。我々は、快適な現代生活と最新の科学理論に合致した料理をこそ作りたいと願うものである。
あらゆる芸術のなかで料理芸術のみが原始の動物的状態にとどまっている。我々は『新に新しい』料理を渇望する。恥知らずにも厚化粧した料理が食卓を飾っている。滑稽なわざとらしい名称が違うだけであり、料理自体には何の変化もない。

料理芸術を革新するのは未来派の役割である。未来派は自由な翼で世界を飛翔したあと、今や地上に降り立って、実際生活に関わらんとする。大袈裟な言い方を敢えてすれば、人間に関わるものは未来派にとって無縁ではあり得ない。未来派は人間や思想を動かすわけではない。未来派は物事を変えてゆくのである。
口は肉体の本質的部分である。エネルギーの元となる滋養はすべて口を通して体内に入ってくる。未来派は、拝金主義者どもの唾棄すべき攻撃から口を守りたいと強く願うものである。シェフであれ見習いであれ恥知らずなペテン師には変わりない。お前たちの白い制服はそのままお前たちの屍衣になるであろう。
お前たちの巣窟に我々の太陽の光を射し込んでやる。さすれば闇も晴れるであろう。
食器戸棚をひっくり返し、竈を逆さにしてやろう。お前たちのペストのような練り粉だの膿の入った酒瓶だのはどぶに捨ててやろうではないか。
現今の調理法は愚かしく、あまりに決まり切ったものばかりである。それらは非合理的な原則に則っているに過ぎない。未来派の料理は、奴隷のような教本通りの料理法を一掃し、現代の料理が拠って立つおぞましい二つの砦を開放するために闘う。二つの砦とはすなわち、メランジュとアロームにほからなない。