ヨーロッパ都市の戦災復興は?

これが最近気になる問題のひとつ。あちらの「かたい都市」にも何らかの「やわらかさ」がなければならない、それが道理というものであろう。もちろんそれは焼け野原に生え出たバラックが段階的に発育して、曵家で動いて・・・、とか、駅前にテキ屋たちのマーケットが建ち並び、それが共同化されて雑居ビルの海になり・・・というような、いかにも生物的な「やわらかさ」とは根本的に違っているのであろうが。しかし僕には全然知識がない。
それでは一肌脱ぎましょうと、『帝都復興と生活空間』の著者・田中傑さんが以前調べられたことを紹介してくださることになり、5月27日(木)にわざわざ生田キャンパスまで来てくださった。いや本当、ありがたいです。
フライブルクライプツィヒケーニヒスベルクカリーニングラード)、ワルシャワ、ブレスラウ(ヴロツラフ)・・・。
まず、戦争のあり方も、終戦時の都市の姿も、日本とはまるで異なる。ぜんぜん違う。
体制の転換や住民の移動などかなり複雑な背景を踏まえる必要もあるし、ヨーロッパ都市もけっして一枚岩ではない。もちろん復興のあり方も思ったより多様だ。そして、それなりの「やわらかさ」がやはり働いていたことがいろいろなエピソードや資料からうかがえる。いや実に面白い。土地建物関係、相隣関係なども踏まえつつ、再生(都市組織がつくりな直されるダイナミクス)の比較論を考えれば、都市の本質的なものがみえてくるだろう。
田中さんありがとうございました。一緒にドイツいきましょう(当面とても行けそうにないけど、ううう)。


ところで先日のシンポジウムで陣内秀信先生が台湾都市はヨーロッパに近いねとおっしゃっていた。僕もそう思う。ところが不動産の制度でいえば台湾は日本に近い。つまり土地と建物とが別々に取り引きされるのに、都市の姿や時間的な挙動は日本とはかなり違うのだ。なぜだ。うー解き明かしたい。