5月17日(月)・すまいろんシンポジウム「やわらかい都市/かたい都市」

下記のとおり住宅総合研究財団機関誌『すまいろん』2010年夏号特集「動く住まい」の巻頭シンポジウムが行われた。

すまいろんシンポジウム「やわらかい都市/かたい都市」
2010年5月17日(月)14:00〜17:00 於:建築会館301会議室
講演1 伊藤毅「歴史のなかの日本の都市空間〜土地所有・空地・移動からみた」
講演2 陣内秀信「イタリアと日本における都市のかたさ、やわらかさ」
企画・司会 青井哲人

僕からの問題提起の後、まず伊藤毅先生は古代から現代までの日本都市史を一挙に辿りながら、(1) 所有、(2) 空地、(3) 移動・廃棄といった観点から日本都市の「やわらかさ」を説明された(タテ軸)。ついで陣内秀信先生は、建物の具体的な形態を記録したイタリアのカタストと、土地に関する数値情報だけを記す日本の沽券絵図の対比からはじめて、都市空間の人類学的な意味にまで及ぶ広がりと奥行きを示された(ヨコ軸)。タテ・ヨコともたいへん広闊なので、少し絞り込みながら討議をすることにした。僕の視点に引き寄せて今日のシンポを圧縮すると以下のような感じ。

  • 古代から日本では都市まるごとの移転がたびたび繰り返されてきた。とくに古代都城と戦国城下町。戦国城下はまさに camp(宿営地)だが、幕府は英語では何と tent government(!)。もう少しミクロな地区の移動であれば中世・近世にも相当動いている。移動が前提であれば、それに見合う権利の観念が発達するはず。
  • それは、物的対応物がいつでも取り換えられるような「所有権」ではないか。これは権利の脆弱性と絶対性の両方に転びうる性質のものだった(なぜなら固有の対応物による制約性を欠くから)。
  • とはいえ近世の日本都市では、土地・建物が一体不可分なものとして、社会的裏付けをもって成熟する契機もあった。明治期にはヨーロッパ的な不動産制度を含む民法典も検討された。しかし結局は、土地・建物の権利がきれいに分離された。それは不動産所有の流動化と複雑化の両方を加速させた。
  • 明治以降、権利関係を維持しながら都市空間を更新する体系が開発されてきた。パブリックな都市空間はつくりかえるが、しかしプライベートな権利はアンタッチャブル・・・このダブルバインドは物的対応物が交換可能な所有権のあり方をより強化した。
  • 区画整理は、こうした近代日本の土地所有を見事に踏まえて、その平面的操作を可能にしたもの。土地だけが再分配されるので、すべての権利関係と建物をそのまま動かせる曵家は有用だった。さらに建物も「床」に還元されれば、権利関係を維持しつつ別の物的形態へと割り当て直すような、より精緻な方式が発達するだろう。共同建替、市街地再開発などがそうだ。
  • ヨーロッパでは土地と建物は実際にも法的にも一体的で、「借地」の観念がほとんどない。それに街区全体も一体的で、それを支える共有壁の制度などが知られている(リジッドな壁の共同性をめぐる相隣関係)。近代日本では、そこに残余としての(定義されない)スキマが生じてしまう構造になっている。
  • 東京の下町は区画整理を経験しているのに路地が多い。このことも一方で日本都市(および都市計画)の特質にかかわるし、他方で隣接関係が微調整されるような生活文化が維持されてきたことも重要。スキマを挟んだやわらかい相隣関係。
  • 仮設性は、記号的仮設性(いつでも解体できますよ、という)において(すら/こそ)有効に機能しうる。バラックもそう。近世の芝居小屋や露店などの遊興空間も、商業空間の付加的な仮設装置もそうだろう。
  • 移動・移築・仮設といった特質は顕在化と潜在化を繰り返している。今後は顕在化の局面になるのではないか。



んー、止まらなくなってしまったのでこのあたりで止める。陣内先生・伊藤先生のお話はぜんぜんこんなまとめに収まりきらない豊かな知見に満ちていたので、是非とも『すまいろん』夏号(2010年7月)にてご覧ください。先生方には大感謝です。また元倉真琴さんはじめ会場からも貴重なコメントをいただきました。
「動く住まい」(家屋・都市の移動可能性)というテーマの射程はとても大きいと思う。とはいえ、都市のすべてを「動く」で語ろうという気は毛頭ない。むしろ、流動的都市を、それを引き受けながら固定化し成熟化する取組みもいろいろある。一方、ヨーロッパの動かない都市を動態において捉えるためには工夫が必要。災害(戦災を含む)後の再生プロセスを復元的に観察することができればとても有意義だろう。いろいろ展開すべきテーマが満載。