2010年元旦の話。莆田 Putian での奇妙な都市体験について。(旅行記風+長文御免)

1月1日。夕方つかまえたタクシーは泉州 Quanzhou から莆田 Putian までの100Km強を飛ぶように走り、夜8時頃に我々3人を降ろした。できるだけ中心部の古い地区で降ろしてくれと運転手に頼んだが、莆田の街は不慣れで分からない、国道沿いだがほぼ中心部のようだしホテルもいくつか見えるからよいだろうと。もともと250人民元の約束だ。ホテル探しに付き合わされるのはご免というところか。しかし国道沿いの「飯店」や「酒店」はみなレストランだった。中国の夜は暗い。大都市でも日本や台湾のように煌々と明かりが灯ることはない。手もとに地図もない。初めての都市でもだいたい読めるという妙な自信があるのでガイドブックも地図もその街で買う癖なのだ。小雨が降る。寒い。
息を吸い、わずかな光の具合から中心部らしく見える方向を選び、暗く広い道を歩き出す。一階の店舗の連なりがそれなりにリズムをつくり出しているものの、見上げれば10〜15層程度の高層住宅の塊が矩形街区に一体的に立ち上がる。新市街であることは疑えない。どこまでも同じタイプの街区が続く。荷物をひきずりながら、道行く人に古い地区はどこかと何度も訪ねる。しかしこのあたりが中心だ、このあたりが一番古いと誰もが口を揃える。そんなことはない、これは新しい。古代からの基盤がすべて消されるこなどありえない。経験則からそう自分に言い聞かせる。言い聞かせるほどに心細くなる。夕食をとっていないことに気づく。宿もない。
もう少し賑やかな地区があるという話をようやく聞き出したのでタクシーをつかまえる。ポンコツで尻が痛い。スポーツ刈りの運転手は、挑発するかのように大声でわめきちらしては、愛嬌と狂気の混じったような笑い声をあげる。街のちんぴらといった風だ。タクシーを降りるとそこは繁華街。休日のためだろう、雨にもかかわらず無数の若者が繰り出して街は渦を巻いている。しかし古い街のかけらも見当たらない。見えるのは高層ビル。そして洋品店とファーストフード。ともかく宿をとる。食事のためすぐ外出したが、行けども行けども雑踏は絶えない。同じような若者向けの洋品店だけが蜿々と連なる。ジーンズ、ダウンジャケット、コート・・・。店頭で配られたビラはすぐに投げ捨てられ、堆積した紙が雨に溶けて歩道は黄土色にぬかるんでいる。どの店先にもスピーカーが置かれR&Bを大音量で鳴らす。負けじと大声で怒鳴る若者たち。バイタクのクラクションはいつしか背景に退く。しかし目の前の大通りでは地下街建設が進み、フェンスの裏で日本製の重機が轟音をあげる。あまりの喧騒に頭がおかしくなりそうだ。所在ない不安感にさいなまれる。
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何とか食事にありつき宿に戻る。11時。ずいぶん彷徨ったものだ。宿のおばさんたちも古い街は全部壊してしまったのだと言う。まあお寺ならあるけどねと。たしかに私たちの目的のひとつは北宋1009年の玄妙観三清殿を見ることだった。しかし、街の風景に時間の層を読み取り、民家をたずねて生活を見ないことには、都市を体験したことにはならない。少なくとも私にとってはそうだ。
P1029083 P1029078ラクションは朝まで止むことはなかった。雨もまだ続いている。しかし、書店で地図を手に入れれば勘も働きはじめる。街区の裏の路地に入り込んでみる。ようやく20〜30年ほどの時間の厚みは感じられるようになる。そうだ、時間はそう易々と消せるものではない。しかしまだこの都市の厚みには届かない。つづいて城隍廟、三清殿、東嶽殿など、宋から清にかけてのいくつかの木造建造物を見る。幸い古い民家の内部も詳しく見ることができた。明代の建物だが、文革以後の雑居状態の名残りも含めて生活ぶりがよく分かる。朝から歩きはじめて午後2時をまわっていた。莆田の街が、ようやく自分たちのものになりかけていた。
ところが、この民家の前の路地はどうやらかなり古い。「大路街」という名もむしろ都市の本来の中心であったことを物語る。木造平屋〜二層の傾いた町家が連なる。その連なりは屈曲した路地の、さらに向こうへと続いているようでもある。いてもたってもいられず歩きはじめる。店は3〜4mの間口いっぱいに吹き放たれ、傍らに10枚ほどの板が積み重ねられたり立て掛けられたりしている。夜になればこの板を立て並べて店をふさぐ昔ながらのやり方だ。台湾ではほぼ見られない。この商店街には、食堂があり、米屋や肉屋があり、道具屋、雑貨屋、布団屋、反物屋がある。まさに日常生活を支える商業空間であり、その建物はたぶん清代までのものがかなりの割合を占めるだろう。この街で食べた牛肉麺は素朴で美味かった。そして安かった。この街を行く人々にはとてもダウンジャケットなど買えそうにない。目を上にやれば高層住宅群が取り巻いていた。

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牛肉麺を食べながら、これではまるでSF映画ではないかと何度も目をこすった。高層の新市街に住む人々と、目の前の商店街の人々とは、おそらく宇宙から飛来した征服者と、彼らに洗脳された先住民の関係であるに違いない。でなければ、なぜ新市街にいた人々は異口同音に古い街はすべて壊してしまったのだと答えたのか。眼前を行く人々もまるで周囲の高層ビル群に気づいていないかのように思われてくる。
どうにか理解できたと思われた莆田の都市が、再び、いやすでに昨夜以上に不可解なものになってしまっていた。もちろん、これは映画のセットではないし、街行く人は俳優ではない。この道をもう少し進めば再びあのR&Bと鎚音と怒声とクラクションの世界に戻れるし、その上にはコンクリートの住宅が積み重なっている。人々は彼此を行き来している。どうということはない、たんに高層住宅に住む人々も日用品はこういうところで買っているのだと考えればよいだけの話だ。ならば、このSF的感覚はどこから来るのだろうか。実は、それは現実の風景のコントラストそのものよりも、そのコントラストにもかかわらず人々が「古い街はもうない」と答えたという事実に由来していたのかもしれない。
P1039522この日の夜、私たちはさらに東へ100Kmの福州 Fuzhou へ移動し、翌日その巨大都市の中心部に見事に凍結保存されようとしている歴史的市街地を見た。高層ビル群がこのかつての官人の邸宅群を取り巻く様子は莆田の比ではない。ビルの上層からは、近代都市の模型にコケか何かが貼り付いているように見えた。そこには、実は誰も住んでいない。修復と観光開発のために何千人という雑居住人が追い出され、あるいは望んで高層住宅に移ったのだ。住人が出たままの状態の廃虚。修復された広大な邸宅。そして新たに「復元」され一昨日にオープンしたばかりの商店街。早くも観光客で賑わっていた。意図された、計画的な、そして最も望ましくない保存である。驚いた。ただ、これをやってはだめだ、という嘆息は、実は安心感でもあった。この方があのSF的な莆田の街よりもはるかに分かりやすいからだ。

これに対して、莆田の古街は意図的に保存されたものではない。福州の官人邸宅群のような立派な建物もない。にもかかわらずしかし高層住宅に覆われた都市の真ん中にへばりつくように、あの映画セットのような街は今もたしかに息づいている。そのことを都市計画当局が問題視していないはずはない。早晩、周囲と同じような高層住宅に取って変わられてしまうか、あるいは福州のように凍結され観光化されるのかもしれない。その意味で、あれは奇跡的な、そして長い歴史のなかで見れば瞬間的な風景なのかもしれない。そして、少なくとも私たちにとって、あの二重性のありようが、きわめて無意識的に招来されたものに見えたことは、きっとこの文章では伝わりにくいだろうが、しっかりと記憶しておきたいと思うのである。それは、ひょっとすると私たちの時間的感性の何らかの異常さ(少なくともステロタイプ)を逆照射しているのかもしれないからである。