入間基地周辺の旧・米軍住宅群を見る。

PC1566992009.12.15 Tue. 埼玉県狭山市入間市の旧米軍住宅が残る一帯を研究室のK君(地元)とともに歩く。最初にたずねた入間市のジョンソンタウンは、元来は戦前期に分譲住宅地として開発された場所を、戦後に米軍住宅地としたらしい。元来の地主(ディベロッパー)が委嘱を受けるかたちで、おそらくいくつかの標準設計をベースとする下見板張りの庭付き住宅を整備し、賃貸した。現在も同じディベロッパーが所有しており、近年では戦前および戦後復興期の住宅を残しつつ、空いた土地に新しい下見板張りの店舗や住宅を建てて経営している。マーケティング的に米軍ブランドが地域に定着しているということか。
その後は狭山市の旧ハイドパーク(稲荷山公園)周辺に点在して残る旧米軍住宅を見て回る。高官のものはかなり多様性があるらしい。米軍住宅(DH)のいわゆるモダン・リビングへの影響関係は、指摘されはするものの漠然としているように思う。それを今日は現場で少しだが感じることができた。
そして、最後に著名なギタリストのK氏を訪ねる。いまは亡きご尊父は台湾南部出身。同行していたうちの奥さんとも話に花が咲く。K氏は70年代にある「ハウス」(米軍住宅は地域ではこう呼ばれる)を借りて狭山に移り住んだが、そこは聞けば誰でも分かるようなミュージシャンたち(細野晴臣とか松任谷正隆とか)が若き日を過ごした濃密なコミューンだった。家賃の安い白いハウス群は独特のカルチャーを醸成したのである。その後、K氏は別の「ハウス」を借りて生前の父親を介護し、娘たちを育て、いまは妻と娘家族とともに暮らしているのだが、その間に自力でかなりの増改築を行ってきた(賃貸だが大家は承認している)。その見事な住みこなしをありのままに実測させていただき、かつロングインタビュー(問わず語りというべきか)を採録させていただいた。止むを得ない事情で実測部隊が確保できなくなり私が1人で屋敷まるごと実測した。台湾調査でも実測は学生に任せているから実に久しぶりだ。いやあ楽しかったな。
(*写真は昨日歩き廻って見た住宅のひとつ。)