売り家・小屋掛け

村野藤吾は五十を過ぎて自宅を建てようと思い、終戦直後に大和や河内の田舎の家を見て回り、どこかの村の名家の隠居家を買ってそれを改造して住んだ。「売り家」と言って、当時は田舎の家を買うのが流行していたという。家を買わなければ家を建てられなかったのだ。面白い(1964年の随筆「建築家十話」/SD選書『様式の上にあれ』所収)。鈴木成文先生のお宅(信太郎旧居)のなかにも田舎から移築してきた座敷があるが移築したのはたしか終戦直後だったと思う。

別の話。今日、昼休みに都市発生学研究会のミーティング。どうやら戦後復興で出現したものどもは多様性よりも定型性が優位であり、その点をこそ解明すべきらしいことがはっきしてきた。一歩前進だ。ついで卒業設計エスキス(かなり楽しい)。終わらぬまま大学院の授業「都市史特論」へ。江戸の遊興空間について絵画資料を用いて話す。しゃべりながら昼のミーティングがフラッシュバックしてきて錦絵に描き込まれた数々の仮設的建築物の生産的・コンテクスト的な共通性に気づく。根深い。やはり歴史は侮れない。

明日早朝より研究室の旅行。山梨・長野方面。清白寺、山梨文化会館、高過庵など拝見するお願いをしてある。密度高いので期待。