10月12日(月)〜17日(土):堀口捨巳先生以来の伝統の科目「古建築実習」

今日(13日)は、国宝の茶室・如庵(愛知県犬山市)を見たところで、(まだ詳しいことは言えないけれどかなりすごいことになりそうな)神社関係の某プロジェクトのためにいったん帰京しましたが、また明日は昼過ぎに奈良で合流予定です。
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1日目:早朝に新宿を発したバスはまず山梨県甲州市大善寺へ。薬師堂は鎌倉期の密教本堂で和様。室町期の厨子禅宗様。長野県に入って松本城。そして擬洋風の代表選手、開智学校。大工棟梁(立石清重)による幾何学的で抽象的な作業空間(棟梁の頭と身体とその外延に広がってゆく思考空間のこと)、左官による過剰な彫塑的図像の世界が同居する。つづいて前から行きたいと思いながら果たせていなかった仁科神明宮。アルカイックなものの洗練というべきか、杉木立のなかの社殿の美しさに見とれつつも背後の意図も底知れぬ気がした。暗くなって妻籠宿を歩く。60年代後半の西部劇のような荒んだ光景を想像したうえで現在の整備された博物館的景観をどう捉えるか、学生たちに問いかけてみるが・・・もう真っ暗。馬籠泊。
2日目:岐阜県の永保寺。禅宗様の標本ともいうべき開山堂に感激。正統的宋様式としての禅宗様は構造技術の合理主義的発展および技術統合的な美という、ちょっとヴィオレ・ル・デュクのゴシック論のような勉強ができる点で教育的にも非常に価値がある(前日の大善寺の和様と比べれば中世の外的インパクトも理解しやすい)。一方の観音堂は逆にこのテクトニックな統合性をひたすら逃げようとする建物として読める。で、こういう軸とはまったく異なる説明が求められるのが茶室。犬山の如庵へ。手前座と正客との関係をつなぎとめる床脇の45度の壁、亭主と末客が相対してしまうのを回避するアーチ型にくりぬかれた板壁といった微妙な諸関係の調整にうーんとうなる。それと、建仁寺塔頭から祇園、東京三井邸、そして犬山へという建物の移動の履歴は、実は部材や壁土などなどを次々に置換してきた歴史でもある。考えてみれば茶室はバラックの洗練みたいなところがあって、そう考えれば洗練の奥深さとともに、バラック的なある種の開放性も見えてくる気がした。(私はここで離脱。一行はさらに室生寺大神神社を見て吉野へ)
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明日以降も、元気があったらまた書きます。