古建築実習 その2

PA1540333日目:金峯山寺。吉水神社書院。今井町当麻寺・・・と廻った一行に、僕は東京から新幹線とバスを乗り継いで霊山寺にて合流。和様の本堂は初日の大善寺山梨県)とほぼ同時期の建築だが、内部では虹梁を含めて構造的表現を繊細な格天井で覆って貴族的な雰囲気。ちょうど厨子が開かれて秘仏が見られただけでなく、三重塔の来迎壁に描かれた涅槃図なども見せていただけるという幸運。この後、薬師寺、秋篠寺と廻る予定だったが僕の合流前に道路渋滞で時間を食ってしまい、これらは断念。
4日目:東大寺。南大門のいわゆる大仏様は、中国福建省や台湾では寺廟から民家までごく普通に使われる構造形式が、重源のつくった巨大な実験場でその構造的・生産的可能性を極端に肥大化させ、ひいては表現としての切断的に新しいあり方を先鋭化させたものだ。つまり、ヴァナキュラーですらあるローカルな技術を展開させることで現れた異物としてのモダニズム。大仏殿は構造・意匠の統合が破綻しているとしか思えないものの、鉄輪で締められた集成構造材の採用など江戸期の建築生産の背景を想像すると面白い。つづいて新薬師寺。深い奥行きに大きな叉首組という珍しい構造。前日行けなかった薬師寺へ。東塔に残された唐様式で金堂・西塔などが復元されている。この唐様式以前の中国北朝系の様式を伝えるのが法隆寺。あの不気味な奇怪さが伊東忠太の心と響き合ってしまった可能性は大いにあるだろう。最後は慈光院鄙びた書院。戦時中に堀口捨巳が籠ったという、彼の茶室研究の現場である。堀口から教えられたという茶室の秘事について激烈な和尚から聞く。参りました。

(毎晩のんでて時間と体力なし。今日はここまででご勘弁。)