近代建築史12/国家と建築

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幕末明治は潜在的な歴史のパス(経路)が幾筋も見えるような不確定な時代であり、まただからこそひとつひとつの選択がそのパスを確実に狭めて継起的に決めてゆく時代でもあった。たとえば明治国家の首都は大阪になったかもしれないし、江戸・京都の二京制になったかもしれない。そうしたパスの複数性のなかで、江戸が選び取られる。決め手は江戸の土地の60%を占める武家地ストックの転用可能性で、ここに官庁も官舎も、学校や病院も、京都から引っ越させる天皇・皇族の邸宅も、軍隊も、要するに新たに要求されるあらゆるものを突っ込めるし、払い下げれば財源にもなるという判断だったらしい。結果として官庁はあちこちの旧藩邸などに散らばってしまい、だからこそ「官庁集中計画」が必要になった。
さてそもそも、幕末明治の日本は治外法権居留地を各所に抱えて、国の行方そのものに複数のパスが予想されるきわめて危うい状態にあった。ゆえに近代化とは国を失わないための決断であり、だから日本・近代・建築の歩みにとって「国家」は無条件の枠組みとなるのである。
というわけで、今回は「国家と建築」をめぐって、(1) 御雇い外国人建築家と旧幕系棟梁の時代、(2) 第一世代(辰野金吾ら)、(3)第二世代(伊東忠太ら)、(4)第三世代(佐野利器ら)の基本的な問題設定の転換をたどることにした。