DNY第1回

0507
今日から『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳、筑摩書房/以下DNY)を読むサブゼミがスタート。DNYは1970年代の本(ちょっと不思議な感じもするが、ナルホドという感じもする)。無名性と有名性、分析と投企等々をつなぐ現代建築家の思考回路の基本パターンがここにすでに出ていたと考えてよい。現に趨勢となっている現象のなかに入り込み、そこから何らかのモデルを抽出し、それを操作(デフォルメ、多様化、等々)するという一連の手続きを方法論とするのがそれ。近年の多くの建築家たちが(もちろん流儀の個別性はあるけれど)こういう回路を共有している。明瞭に一個のスクールを形成してきたツカモト一派が最も意識的なグループと言えるのではないか。

タイトルにも表明されているとおり、DNYは「マンハッタンのための回顧的マニフェスト」の書、英語では a retroactive manifesto for Manhattan を意図した書物。邦訳では「回顧的」となっているが、retro-spective ではなく、retro-active が使われている。後者は法律などを過去に遡って適用する場合などに使う。要するにすでに歩まれたマンハッタンの実績へと遡及的に適用されるマニフェストコールハースは書こうとしたわけだ。

で、それは現在を否定してよりよい未来を描くマニフェストモダニズム)がリアリティを失ったことをコールハースが同時代的批評として述べたのでもあったし、そのときに建築家のマニフェストをまったく欠いた、アノニマスな営みの偶発的・自動的集積をイズムとして逆説的に読むというスタンスをとったのもとても分かりやすい。

さすれば近年の若い建築家たちの方法論が、ますます「レトロアクティブ・マニフェスト」的であることはどう解釈すればよいのだろう。歴史家や人類学者ではない建築家がみんなでコレをやったんでは出口は見えない(のではないでしょうか?)。