備忘録:台湾の太陽花学運(ひまわり学生運動)(立法院占拠)について
3月末から4月初にかけて台湾におり(当ブログのひとつ前のエントリ参照)、帰国前日の4月5日の夜、台北の立法院周辺を歩いて参りましたが、立法院(国会議事堂)の学生らによる占拠とその周囲で展開された連日の運動には多くのことを学ばせてもらった。運動の担い手は、コアとなる学生たちだけでなく、近年の多様な社会問題に対する運動を展開してきたいくつかのグループが母体となり合流した複合的な様相を示していた。そのことからも分かるように、彼らが闘っていた問題は、直接には中国との間で結ばれるサービス貿易協定が台湾人の生活にもたらす深刻な影響と、にもかかわらず国民に情報をほとんど提供することなく「黒箱(ブラックボックス)」のなかでほぼ無審議のまま関係委員会と本会を通そうとした政権与党のやり口であったが、問題は台湾-中国の二国間問題であるだけでなく、経済のグローバル化、新自由主義的な政策の問題であり、部分的には都市問題や環境問題にもつながっている(つまりこの運動は“都市反乱”の側面をもつ)。そういう広範な一般的問題系の拡がりをきちんと見たうえで、それが同時にいわゆる台湾問題(台中関係)に重ねられてしまう事情を理解しなければならないだろう。
私自身はもちろん立法院の議事堂内部は見ていないが、その建物の外周がみごとに無政府的に装飾されており、しかし周辺の一定エリア内の路上各所で連日連夜展開された数々の演説会や勉強会や映画上映会や・・・も、それを支える物資調達ステーション、医療チームやカウンセリングチームのテント、スマホやPC端末の充電ステーションなどのいわば兵站作戦も、また最初から最後まで密着して報道・記録するメディア一社との提携も、実によく組織化され、きちんと生態系が作動していることに驚いた。大学の試験対策のための互助的な学習サポートデスク(!)もあり、大学教員の講義や演説もあり、デモ参加による欠席は単位修得に影響しない旨を発表した大学さえある。何人かの学生に話しかけたが、みな落ち着いており、ひとりひとりが生態系の一部を担っていることをよく理解していた。とても大人だった。(師匠のF先生に報告したところ、68年の東京もだいたい同じようなものだったと言っていた)
彼らは政権与党から一定の理解を引き出して4月10日に立法院から退去した。占拠開始は3月18日だったから、24日間か。去り際も素晴らしく、隅々まで丁寧に掃除し、建物や什器の修理費用をきちんと建築専門家に見積もらせていた(与党サイドが過大な見積りを出すことが分かっていたからだ)。その後もまだ立法院周辺で活動を続ける一部のグループもあり、運動は終わったわけではない。また問題そのものは、おそらくそうよい方向に転換するわけではないだろうと思う。与党は圧倒的多数を持っている。それでも、この運動とその経験の意義は、やはり大きい。
以下、いくつか記録・記憶すべき情報がまとまっているサイトを紹介しておく。