「近代的実践(計画・設計)」+「都市の実態」の時-空間論的な接続あるいは統合について

 報告遅くなってしまったが、先週(20130711.Thu.)、第6回都市発生学研究会を開催し、福村任生さんに「戦後期イタリアにおける都市組織論の誕生:建築家サヴェリオ・ムラトーリの思想と方法論」と題する講演をいただいた。都市組織論(tessuto urbano)、ティポロジア(tipologia edilizia)のイタリアにおける誕生の経緯を、90分にわたり詳細に跡づけていただき、ディスカッション、懇親会と、重要な議論を展開できたのではないかと思います。まずは福村さんに厚く感謝。そして、わざわざ大阪から駆けつけてくださった松本裕先生(前回、第5回研究会でパリ大改造の都市組織論的な視座からの読解について講演いただいた)、第1回の田中傑さんと第2回の初田香成さん、当研究会お初の日埜直彦さん、若手イタリア都市史研究者の稲益祐太さん(法政大)はじめ、ご参加くださった皆さん、ありがとうございました。

 個人的には、今年2月(20130217.Sun.)に京都で行われた日本建築学会都市史小委員会の会合で、(短時間ではあったが)はじめて福村さんの研究報告をうかがい、あえて大きな枠組みからのコメントを色々させていただいたのだが、とにかくこれは一刻も早くじっくりお話をうかがう機会を設けなければと思ったのがきっかけ。そもそもイタリアの都市研究の蓄積といっても、陣内秀信先生や野口昌夫先生が紹介されている議論をなぞることしか我々にはできず、研究史的な探求は非常に希有。聞くかぎりでは、イタリアをのぞく諸外国でもそういう研究はなされていないようで、とても貴重な研究なのである。今回はあのときの約3倍のヴォリュームでお話をうかがい、色々と理解が深まった。

 都市組織論+建物類型学の大成者といえばS・ムラトーリ Saverio Muratori (1910-73) であり、1950〜55年のヴェネツィア調査がそれを一挙に体系的なものに鍛え上げていく運動だったのだが、それ以前、1930年代初頭までに彼の師でもあるG・ジョヴァンノーニ Gustavo Giovannoni (1873-1947) が「建築的環境 l'ambiente architettonico」、「建物群」、「類型性 l'aspetto tipico」、「プランの持続性 persistenza del piano」などの概念を着想していたこと、つまりモニュメントだけでなく一般の都市建築を類型的に捉えつつ、その集合・配列として都市の環境とその持続/変化/回復をみていくような構えが萌芽的にせよ準備されつつあったことなどは大変興味深かった。
 と同時に、これらをベースとしつつも、フィールド・サーヴェイと理論化の往還のなかでぐいぐい体系化を推し進めたムラトーリの、異様なまでのホーリスティックな統合への意志といったものがやはり強烈に印象に残る。ムラトーリのそれは、人間〜世界の関係性を時間的ダイナミズムを入れた一般理論としてモデル化したいという欲望なのだろう。それゆえ、ムラトーリは都市組織論+建物類型学の統合の筋道が見えた瞬間に、テッリトーリオ(領域)論へと移行し、さらにはほとんど神秘主義がかった宇宙論にまで行ってしまうのだろうし、彼の議論がその後のイタリアでも眉にツバをつけないと読めないと見なされるようになったのもそういった彼の志向性と関係が深いのだろうが、そういうムラトーリだったればこそ、都市組織論+建物類型学の統合などもありえたのだろうなと思う。実際、彼の後継者であるG・カニッジャ Gianfranco Caniggia (1933-1987) は調査対象を広げながら実証と理論化を継続し、町並み保全の広範な実践へと展開していくが、たぶんそこではムラトーリの観念性・理念性は脱色されていったのではなかろうか。

 懇親会(飲み会)でも色々な議論をしたが、とくに新しく教えられた視点としては、建物類型学(tipologia edilizia)が、歴史研究のための方法論というよりは、やはりハウジングをはじめとする建築計画学的な学問領域に根ざしている、ということ。これは福村さんと稲益さんが口を揃えて言っておられた。おそらく、ハウジングの計画論を、イタリアの(と言っても実に多様らしいのだが)都市の実態に埋め込んで体系化すること自体が、イタリア的必然としてあった、そう考えることができるのではないか。だとすれば、オランダのハブラーケン N. John Habraken (1928-) が1960年代に「tissue - support - infil」というかたちで、新しいハウジングのシステムをより近代的な開放系へ展開しようとしたこと(ちなみにハブラーケンの理論のうち、tissue(伊:tessuto)の部分は看過されがちのような気がする)も、イタリアの50年代までの理論整備と、方向性こそ異質であっても、表面的な類似性以上に密接な関連のうちに捉えるべきもののように思えてくる。あるいは、戦中期の西山夘三のサーヴェイと理論化の往還運動だって、視野の外に置く理由はないし、逆に西山に tissue の視点があるかどうかチェックする必要が出てくる。

 こうした、近代的実践上の諸課題と、都市の実態とを、時-空間論(場合によってはある種の宇宙論)的に接続し、統合しようとするような種類の知の運動を、グローバルな視野で跡づけてみたいという欲望がますます深まってくる。壮大だけど、共同研究ならできるんじゃないかな。これをやらないと、それを乗り越えるような新しい都市研究・都市論のフレームも、位置づけが明確にならず、うまくない、と思うのだ。