建築雑誌2013年3月号 特集 「近代復興」再考:これからの復興のために Reexamining Modern Disaster Recovery: Looking toward Future Schemes

cover_2013033月号ができました。今号にて、東日本大震災を直接に扱う特集にはいったん区切りを付けることにします。もちろん、それは我々の編集委員会として、であって、以後の編集体制でもこの災害およびこれが迫り出させた膨大な問題群は繰り返し問われることになるでしょう。これまでお送りしてきた震災関連特集号の数々は、私たちの編集委員会でなければきっとできなかった密度の高いアーカイブとして未来に残ると自負しています。

さて東日本大震災2周年の本号では、今日当然のように発動する災害復興システムそのものをきちんと歴史的に相対化し、乗り越えのための論点をはっきりさせたいという意図から出発しました。編集部では、この復興システムの基本的な特徴を列記してみることからはじめ、その歴史的な成立経緯と今日矛盾を生じている理由を想定しつつ、企画を組み立てていきました。この過程で、問題としている復興システムを「近代復興」という造語によって括ってみようというアイディアが出された時、これでいけると思いました。もちろんこれは作業仮説ですが、仮設的な土俵としても皆さんが乗ってみようと思わなければ成立しないし、しばらくは乗っていられるだけの強度もないといけません。その点、若干の不安がなかったわけではありませんが、今日の復興システムは昔からあったわけではなく、また今日根本的なレベルでの綻びが見えていることは多くの人に共有されうるだろう、ならばこの造語めがけて、多くの専門家に言葉を投げ込んでもらうことで、その中身が充填され、かつ相対化と乗り越えのための論点が引き出されるだろうというのが編集サイドの考えでした。執筆者・登壇者の皆さんのご協力もあり、この目論見はおおむね成功したのではないかと思います。雑誌ですから、「近代復興」が一義的に体系的に語られる必要はこれっぽっちもありません。むしろこの造語のまわりに多様な言論が引き起こされる契機になればと思います。

中野デザイン事務所による表紙は、日本の主要災害史を、少しだけ長めのレンジで、A:19世紀後半/B:20世紀前半/C:20世紀後半/D:21世紀と区分し、指標として仮に死者・行方不明者数を円の面積で示すとどんなグラフになるかをつくってみたものです。もうひとつの重要情報は円の色です。黒っぽいのは地震が原因になっているもの。こうしてみると、C:20世紀後半は、小さな円が数珠繋ぎになっているだけで、しかも白ばかり。それ以外の時期はみんな黒くて大きな円がドン、ドンと現れていますね。近年よく言われることですが、戦後日本の高度経済成長は、この「災害間期」あるいは「震災間期」という偶然にも支えられていました。そのなかでつくられた「近代復興」が、経済財政の縮小期+災害頻発期、というこれまでとはまるで異なる局面に対応できるはずがないのです。

田中傑さんにお願いして作成いただいた充実の年表も入っています。ちょっと読むのツライですが、第1部の歴史認識編「「近代復興」の成立」の記事とあわせて読み込んでください。私なりにマクロに捉えますと、「近代復興」は、20世紀前半の発展途上段階での破壊と復興の経験を基盤とし、その開発主義的なスキームを、20世紀後半の企業型経済の爆発的成長と福祉国家体制の確立に沿わせて実装化したもの、と位置づけられます。

以下余談。この1年間くらい(建築雑誌に限らず)どんな主題を考えるときも同じ枠組みを頭のなかで揉んでいる感じなのですが、やっぱり1920〜30年代と、1960〜70年代、この二つのディケイド(+α)が、社会を構成する仕組みがぐいとシフトする時期で、建築の生産体制や諸職能のあり方、言説のあり方までがそれを反映してシフトしますね。40年サイクルかどうか、数字に大した意味はないかもしれませんが、もし40年なら、2000〜10年代が次です。今です。
(付記)本号を開いてみた方は、表紙見返しと目次の間に、ピンク色の紙が下品に綴じ込まれていたのを目撃され、不審に思われたことでしょう。これは、編集委員会の関知しないところで、印刷間際に強引に捻じ込まれたものです。学会はこういうことが起こりうる場のようです。中野デザイン事務所と編集委員会の名誉のために記しておきます。