建築雑誌2012年11月号 特集 トーキョー・アーバニズム:駆動力、リスク、ライフスケープ Tokyo Urbanism: Driving Forces, Risks, and Lifescape

cover_201211そろそろ会員の皆さまに11月号が届いている頃かと思います。今号の編集担当は、中島直人(慶應義塾大学)・初田香成(東京大学)・藤原健二(内閣官房地域活性化統合事務局/内閣府地域活性化推進室)。

東京といえば、『建築雑誌』前編集委員会の2011年1月号特集「未来のスラム」、なかでも渡辺俊一先生へのインタビュー記事「なぜ今東京にはスラムがないのか?」が、私個人にとっても最も関心の高いテーマのひとつを具体的に証言するもので印象深い。「弱い都市計画」「弱い住宅政策」が市場メカニズムの力と(結果的に)うまく手を結び補い合うことで、日本都市はかつてのスラムを解消しながら、インフラの整った広大かつ雑然たる都市生態系をつくってきた、その最も象徴的な作品が世界最大の都市圏人口を擁する東京である、という内容だった。
「弱い都市計画・住宅政策」は、むろん欧州的な都市計画からみたときの「弱さ」である。ある意味で日本は欧州的都市計画を規範として仰ぎ見ながらも、おそらくは半ば意識的に「弱さ」を徹底させてきたのではないかという気もする。それは国家の財政的な弱さからくるリアリズムにすぎないともいえるが、それでもダイナミックな生態系を維持しつづける戦略でありえているのならば、固有の「強さ」をそこに見ることもできなくはない。
歴史を振り返れば、東京ではすでに18世紀(もちろん東京じゃなくて江戸)にはすでに土地の商品化が進み、幕府は必要に迫られて「沽券絵図」と呼ばれる地籍図をつくらせている。今号の表紙はそれ。明治以降は、とくに市区改正の進展のなかで土地/建物の一体性を分解し、関東大震災後の帝都復興では土地と建物を平面的に組み替える区画整理を実施し、さらに戦災復興期に生み出された大量の仮設的な不良ストックからなる半熟卵のような市街地をそれなりに固い建物へと変換する経験のなかから土地不動産をめぐる権利の立体化をも推し進めてきた。それはつねに(制度的システムの書き換えによって)「現在」を土地不動産のポテンシャルを発揮しきれていない状態として再定義し、つまりは「テンポラル」な状態に差し戻すことで更新を誘導してきた歴史であり、中曽根・小泉時代はシステムの質的更新のかわりに量的更新(規制緩和)によって同じことを延長しようとした。この歩みを、本号では明治大・東大・法政大の若い研究者の皆さんが濃密な年表にまとめ、中野デザイン事務所の久能さんが丹誠込めて美しい誌面に仕上げて下さった。
こうした歴史を、かつて別の角度から、すなわち鉄道資本のような民間大資本と政治と官僚機構の複合というかたちで徹底的に可視化してみせたのが、『土地の神話』『ミカドの肖像』の著者にして東京副都知事猪瀬直樹氏である(10/25の石原都知事の辞任後は知事代理であり、次期都知事選の焦点でもある)。本号巻頭はその猪瀬氏への特別インタビューである。すぐれた東京研究の書でもあるそれら著書をいまや官僚たる自らが「展開」すべき日本あるいは東京の自画像を描いたものだと言い切ってみせる猪瀬氏にはいくぶん複雑な感慨を覚えた。
いずれにせよ、欧州的な意味では都市計画の不徹底(弱さ)であっても、相応の一貫性がある以上、東京の歩みをひとつの都市モデルとみなすことに、私自身はあまり躊躇はない。
東京はこうして土地のポテンシャルを上にも外にも押し広げて現在を不断に過去へと送り込みつつ、大局的な都市構造と群島的モザイク、そしてそれらに対応する特徴的なライフスケープと、特徴的なリスクを同時に生み出して来た。本号でテーマとしたのは、まずそうした理解を大きく確認して定着すること、そして、この都市モデルの肝であった駆動力の弱体化をどう見るかを考えることである。
猪瀬氏は、東京が展開してきた駆動力を今後も引き出し続けることができる(そのためにハード・ソフト両面のインフラをさらに高効率化することが行政体たる東京都の使命である)と考えている。たしかに「伸びしろ」はまだゼロではなく、それが従来の駆動力の延長上にいくらかでも残されているのはいまや日本では東京だけであり、すでにそれぞれに固有の目標を模索している地方都市からみても東京はすでに模倣の対象となる規範ではない。だが、それは結果的にせよ東京が一都市へと解放されることでもある。一方で従来の駆動力に頼ることは、かつては経済成長のなかに吸収されてきた社会の諸矛盾を露わにし、弱いものに皺を寄せるだろう。それが「未来のスラム」を予感させる。首都直下地震はそれを一挙に可視化する可能性が高いのではないか。