2012年度 古建築実習 20121001〜1006

先週10月1日から6日の期間で今年度の古建築実習を実施した。今年の行程は以下のとおり(生田キャンパスからバスで出発し、最終日の夕方に京都駅で解散)。今年はまた参加者が増え全体で50名をこえた。マネジメント全般を担当した助手・TAの皆さん、本当にお疲れさまでした。

R0039133
西本願寺御影堂前にて

R0038858
長寿寺本堂前にて

 明治に来て早5年目。古建築実習の解説は2年目。毎年必ず見ている建物も三分の一くらいはあって、やはり反復的に見ていると理解が深まる。理解が深まるというのは、つまり相互に脈絡をもっていなかった複数の理解、複数の箇所、複数の側面が、ふとした瞬間にパッとひとつにつながり、整序される感じだ。
 僕はとくに形式性が弱いというか形式性を逃げていくような建物が苦手。民族建築的なものとかヴァナキュラーな都市建築とか、あるいは反対に強い引力や斥力が働いている宗教建築とかは、きわめてクリアな形式性を備えている。そういうのはわりとよく分かる。反対に、形式性から逃げようとする繊細な意識ってある意味ですごい高度。そんなもの要らないと思うくらい高度。最終的には僕は要らない派だが、分からないというのは癪に障る。
 たとえば戦中期に堀口捨巳がこもっていた慈光院。あのくだけた感じの変則的な書院を学生たちは素直に「よい」という。何でよいのか聞くと「何となく」とか言いながらパシャパシャ思うままに写真を撮っている。僕はほとんどシャッターが切れない。何らかの理解の形式がキャプションにならないとシャッター切れない。たぶん頭が固い。そんな感じで、慈光院は謎(なんでこうなの?という)だらけでイヤだった。だけどたぶん分からないということを受容するのが苦手だったんだなと思う。受容してしまえば、ぼんやりした疑問のひとつひとつがなぜ疑問に感じるのかを考えていける。疑問を構成していたコンテクスト(条件の束)が見えてくれば、他の疑問のそれと突き合わせる作業ができ、次第に連立方程式みたいな数学的な問いになってくる。すると妙な柱の位置ひとつとっても、相容れない二つのコンテクストが重合している状態への調停的な回答なんじゃないかとか、けっこう見えてくる。そういう感覚をようやく持ちはじめた。で、そんな問答の相手になってくれる学生さんが何人かいて今年はとてもよかった。でもまだ謎だらけ。