2012年度 古建築実習 20121001〜1006
先週10月1日から6日の期間で今年度の古建築実習を実施した。今年の行程は以下のとおり(生田キャンパスからバスで出発し、最終日の夕方に京都駅で解散)。今年はまた参加者が増え全体で50名をこえた。マネジメント全般を担当した助手・TAの皆さん、本当にお疲れさまでした。
- 10/1 Mon 仁科神明宮/開智学校/奈良井(町並)
- 10/2 Tue 永保寺開山堂・観音堂/如庵/善水寺本堂/長寿寺本堂
- 10/3 Wed 園城寺金堂・光浄院客殿/近江神宮/坂本(町並)/日吉大社/延暦寺根本中堂・担い堂(法華堂+常行堂)
- 10/4 Thu 法隆寺金堂・五重塔・中門他/薬師寺金堂・講堂・西塔(東塔は修理中)/東大寺南大門・大仏殿・法華堂(修理中)・鐘楼他/唐招提寺金堂・講堂他/十輪院本堂
- 10/5 Fri 慈光院書院・茶室他/室生寺金堂・彌勒堂・潅頂堂・五重塔/大宇陀(町並)/談山神社本殿・権殿・十三重塔他
- 10/6 Sat 浄瑠璃寺本堂(九体阿弥陀堂)・三重塔/平等院鳳凰堂(修理中)・観音堂/法界寺阿弥陀堂/西本願寺対面所・白書院・飛雲閣
西本願寺御影堂前にて
明治に来て早5年目。古建築実習の解説は2年目。毎年必ず見ている建物も三分の一くらいはあって、やはり反復的に見ていると理解が深まる。理解が深まるというのは、つまり相互に脈絡をもっていなかった複数の理解、複数の箇所、複数の側面が、ふとした瞬間にパッとひとつにつながり、整序される感じだ。
僕はとくに形式性が弱いというか形式性を逃げていくような建物が苦手。民族建築的なものとかヴァナキュラーな都市建築とか、あるいは反対に強い引力や斥力が働いている宗教建築とかは、きわめてクリアな形式性を備えている。そういうのはわりとよく分かる。反対に、形式性から逃げようとする繊細な意識ってある意味ですごい高度。そんなもの要らないと思うくらい高度。最終的には僕は要らない派だが、分からないというのは癪に障る。
たとえば戦中期に堀口捨巳がこもっていた慈光院。あのくだけた感じの変則的な書院を学生たちは素直に「よい」という。何でよいのか聞くと「何となく」とか言いながらパシャパシャ思うままに写真を撮っている。僕はほとんどシャッターが切れない。何らかの理解の形式がキャプションにならないとシャッター切れない。たぶん頭が固い。そんな感じで、慈光院は謎(なんでこうなの?という)だらけでイヤだった。だけどたぶん分からないということを受容するのが苦手だったんだなと思う。受容してしまえば、ぼんやりした疑問のひとつひとつがなぜ疑問に感じるのかを考えていける。疑問を構成していたコンテクスト(条件の束)が見えてくれば、他の疑問のそれと突き合わせる作業ができ、次第に連立方程式みたいな数学的な問いになってくる。すると妙な柱の位置ひとつとっても、相容れない二つのコンテクストが重合している状態への調停的な回答なんじゃないかとか、けっこう見えてくる。そういう感覚をようやく持ちはじめた。で、そんな問答の相手になってくれる学生さんが何人かいて今年はとてもよかった。でもまだ謎だらけ。