台湾調査2012夏・第1クール(2012年8月6〜13日)終了

今年は台湾漢人の寝床の変容に迫る研究(科研費)の最終年度。今回は花蓮・台東・屏東を巡る。とくに花蓮・台東は台湾では最も開拓の遅い地域で、アミ族をはじめとする原住民(オーストロネシア語族系先住民)の集住地が分布していたところへ、植民地期から戦後期にかけて日本人や台湾西部の漢人が入植していくので、蓄積の薄いパッチワーク状の景観をなしている。今度の調査では、呉イクエさんの下記の論文2編を大いに参考にさせていただいた。

1) 「日本統治時代における台湾原住民族「アミ族」の住環境改善」(日本建築学会計画系論文集668, 2011年10月)see CiNii
2) 「日本統治時代から戦後初期における台湾原住民族「アミ族」の改良蕃屋 : 秀姑巒アミ族と海岸アミ族の比較」(日本建築学会計画系論文集675, 2012年5月)see CiNii

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アミ族の「大きな家」の前で頭目と(長濱郷宜湾 Sa'aniwanにて)/アミ族の皆さんと歌の練習(池上郷大埔村にて)

(以下調査日誌)
2012年8月6日(月)台北駅にてメンバー7名集合。鉄道にて花蓮駅へ。呉さん(運転手)の車に乗り、15:00頃に鳳林鎮山興里着(see GoogleMap)。アミ族阿美族)の村。夕暮れまでに3棟ほどの民家を調査し、古老に話を聞く。一見したところ漢人のものと違わぬ空間・構法の形式だが、しかし固有の特徴がたしかにうかがえる。構造材の断面が漢人のそれよりひとまわり大きく異様な存在感を放つ。聞き取りによれば、半世紀も遡れば間仕切りのない一室空間で、正面3間のうち中央間を土間ホールとし左右間に奥に長い揚床状の寝床、というイメージがおおむね復元され、その後どのように変容してきたのかのシナリオも描ける。アミ語では揚床プラットフォームの寝床のことをカブディアン kafotian と言う。

2012年8月7日(火) 昨夕と同じ集落で廃墟となった民家を実測し、空間・構法形式を詳細に把握。午後は光復郷へ。北富村see GoogleMap)ではアミ族のお爺ちゃん・お婆ちゃんの記憶を引き出したところ前日の復元イメージと変容のシナリオが裏付けられる。大馬村(see GoogleMap)では、アミ族頭目の「大きな家」を見る。かつては正面五間と大規模で、中央1間の手前半分を土間とし、その奥と左右4間をすべて揚床状の寝床とする。間仕切りのない巨大な一室空間に、大きく広がる kafotian。“漢人化されたアミ族”というこれまでの我々のイメージが大きくくつがえる。

2012年8月8日(水) 玉里鎮春日里へ。客家家屋を実測。その後、台東縣に入り、長濱郷三間村の眞柄部落(Makarahay 馬格拉海)を訪ねる(see GoogleMap)。ここもアミ族の村。竹と籐でできた屋外の露台に出会う。Sasa という。インドネシアの記憶が蘇る。

2012年8月9日(木) 眞柄部落を再訪。約束の家は残念ながら手違いで見れなかったが、別の家を実測。強烈な材料置換のドキュメント。つづいて成功鎮へ。成広奥の客家人家屋を実測。その後、宜湾(Sa'aniwan サニワン部落)というアミ族の集落へ(see GoogleMap)。この村はもう衝撃の一言であった。「大きな家」(頭目あるいは他のイエの“本家”に相当)の変形過程の結果とみなせる家屋が2棟現存する。呉さんよく見つけたなー。この村は丁寧にやれば集落レベルでの復元研究もある程度まで可能かもしれない。

2012年8月10日(金) 池上郷へ。新開園・鳳梨園・龍仔尾・水堕・大埔といった村々の家屋を調査(see GoogleMap)。ここでも比較的新しい家屋にアミ的な概念が強く残存しているのを理解する。夜はアミ族の豊年祭の前夜準備会に飛び込み参加。食事を振る舞われ、歌を覚える。歌詞にはホーロー語とアミ語が並在し、アミ語はアルファベットで記される(植民地時代はカタカナ)。

2012年8月11日(土) 関山鎮電光里(see GoogleMap)にてアミ族家屋を見た後、海瑞郷中福(see GoogleMap)のブヌン族保留区(他の族群エスニックグループが土地を購入できない)を歩き、家屋1棟を拝見する。現代の(固有の特徴をほとんど失った)アミ族家屋と区別できないところを見ると、原住民家屋の「改良」の行き着いた先がこのあたりなのかと推察する。続いて鹿野郷瑞和村(see GoogleMap)にて客家とアミの集落を歩く。夜、台東市に到着して夕食後、ルカイ族の村、大南村の近くへ古老を訪ねるも芳しい情報は得られず。

2012年8月12日(日) 大南村(see GoogleMap)を訪ねる。ルカイの家屋もやはり現代のアミや、ブヌンと変わらない印象。ルカイの頭目の家に挨拶し、集落移転前の旧社(社は集落の意)の位置を尋ねるも日曜日とて礼拝に忙しく訪ねるのは難しいと言われ次の機会に譲ることに(後で調べると思いのほか近いことが判明し残念)。車を飛ばし屏東縣の来義郷にあるパイワン族の白鷺旧部落(see GoogleMap)を探す。何とか辿り着き石板家屋の廃墟群を見る。

2012年8月13日(月) 萬巒郷五溝村の五溝水という客家集落(see GoogleMap)を訪ね、3棟ほど調査。ここで旧知の先輩・黄蘭翔先生にばったり出会う。さらに内埔郷美和村(see GoogleMap)にて3棟拝見。客家の空間概念を教えられた1日。車を北へ走らせ、台中で学生たち3名を下ろし、台北へ帰還。