吉田五十八設計・惜櫟荘(熱海岩波別邸, 1941)70年目の解体修理(新建築住宅特集 2012年8月号)

R0035033 先週新建築住宅特集2012年8月号が届きました(興味深いリノベーション特集です)。青井は「「明朗さ」の背後にあるもの:吉田五十八「惜櫟荘」70年目の解体復元」(p.96-97)を寄稿しています。
 岩波茂雄のために吉田五十八が設計した熱海の別邸・惜櫟荘(せきれきそう/1941年竣工)がこのたびいったん解体され、同じ敷地に元通りに建築されました(2011年竣工)。新しいオーナーが今後長く維持していくために必要な手入れをしておきたいということで、板垣元彬氏の設計・監督、水沢工務店の施工により今回の工事が行われたのですが、いや素晴らしいです。現行制度への適応、基礎構造やユーティリティのアップデートをしていますが、惜櫟荘の忠実な再現です。
 板垣氏は吉田事務所から独立された建築家ですし、水沢の担当者である栢沼さんは学生時代に吉田五十八の研究をされたそうですから、お二人にとっては建設当時の状況を直接には知ることのできない「師」の建物を、70年目にして目の前で解きほぐし、自分たちの手で組み直すという、追体験的な「復元」でもあったことが想像されます(だから板垣さんは解体修理ではなく、解体復元と呼んでおられるのだろうと私は解釈しています)。青井は新建築編集部から声をかけてきただき、工事前と竣工後の2度、惜櫟荘をつぶさに拝見しました。残念ながら工事中の状況は見ていませんが、解体時に居間南側大開口の戸袋内にはられていたベニヤ板に原寸が書かれているのが見つかったとお知らせをいただき(大工が矩計を描き、不要になったのち資材として使ったもの)、水沢工務店を訪ねて70年振りに出現した数枚の板図を拝見したり、解体時の写真のファイルを繰りながら解説をいただいたりして、吉田流と呼ばれる新興数寄屋を五十八が生み出していくときの、手と頭の動き方の特質みたいなものはつかめたように思います。板垣さんと栢沼さんには何度もお話をうかがいました。心より感謝しています。
 吉田五十八は、伝統的な数寄屋から出発し、それをどう操作して新しい「近代的」な日本建築に到達するかを試行錯誤したのですが、その放縦にも陥りかねない危うい揺らぎを手なずける感覚(構造システムの上に技法ゲームを展開するのではなく、ゆずれない部分のルールを連鎖的に全体へと整合させていくために構造システムさえ編集してしまうような感覚)をほぼ獲得したのが1935-36年頃。実際、41年竣工の惜櫟荘では、これでもかというほど吉田流があらゆる箇所で徹底的に貫かれています。対して、以前に早稲田大学の中川武研究室(中谷礼仁氏ら)が解体調査をされた1934年竣工の小林古径邸(上越市に移築・公開されています)では伝統が色濃く残っています。伝統から逃れるために、逃れる軌道を模索しながらも伝統をトレースせざるをえない、それゆえにある種の厚みを内包した作業の特質を感じ取ることができます。
 ご関心のある方は、(惜櫟荘は私邸につき非公開ですから)是非上越に足を運ばれ、模索期の古径邸の本宅と、その横に並び立つ吉田流確立後の様式で再現された画室(アトリエ棟)を比べられるとよいと思います(実際、東京の大田区にあった古径邸の画室は、本宅と同じ1934年に竣工するが、戦後に大幅に改築され、のちに取り壊されたので、古材を使った)。