建築雑誌2012年8月号 特集 広島[ヒロシマ]・長崎[ナガサキ]Hiroshima and Nagasaki: City, Peace and Architect

0717_cover1_201208
8月号は平和を考える特集。本号編集担当は砂本文彦(広島国際大学)・初田香成(東京大学)のお二人。
編集ポリシーは、大きくいえば二つ。
(1)狭義のメモリアル・モニュメントは直接の対象とはせず、都市と社会生活の再生過程のなかに平和の徴と証を見届けること。
(2)広島と長崎をできるだけ同等のヴォリュームで扱うこと。
前者はまた、カタカナで表記される符牒のごときヒロシマナガサキを(無視することも幻想だが)広島・長崎との間の距離のなかに相対化することでもある。後者は、取材を通じて、二つの都市の被爆経験とその社会的受容や定着の過程には思った以上の差異があることに気づかされ、それを示唆することが重要なテーマであると考えることにつながった(このエントリも参照)。本特集を通じてこの「複数性」がにじみ出ているが、とりわけ元長崎市長本島等氏へのインタビューには我々に迫るものがある。
 なお福島[フクシマ]には短絡させない、というのが第三のポリシーであったが、広島・長崎で取材でお会いした方々は福島への切実なメッセージを語っておられたことを付記したい。
 ところで表紙は今回は特別に折り込みとした。下の写真は検討段階でのモックアップ
cover_201208_mockup
 米軍偵察機の空撮写真は、広島・長崎とともに、小倉・新潟・京都のつごう5都市を選んだ。67年前、1945年7月21日段階では、原爆投下の有力候補都市はまだ「京都・広島・新潟・小倉」の4都市だった。ここから京都が外され、長崎が加わる。広島・長崎が被爆都市となった事実は、一定の必然と同時に大きな偶有性をもはらむ。そこから読者諸氏は何を考えられるか。

 表2(表紙の裏面)の連載「再建への意志」には、あの『都市住宅』誌に掲載された広島の原爆スラムと基町・長寿園アパートの平面図を転載させていただいた。原爆スラムの生活を記録した千葉桂司・矢野正和の両氏と、同地に立ち上がった基町・長寿園高層アパート(大高正人設計)に携わった藤本昌也氏による座談会も本特集に収められている。
cover_2012008_c2

 本号はまた、後半ページで学会賞や作品選奨などの受賞情報が掲載されており、厚みと密度のある号となっている。
 是非じっくり味わっていただきたい。