19世紀パリ改造を通して都市組織論を語る --- 第5回 都市発生学研究会・松本裕先生

20120719 Thu. 研究会を盛況のうちに終えました。松本先生のお話、刺激的でした。ありがとうございました。講演をお聞きし、ディスカッションし、その後遅くまで飲んで議論しました。自分なりに考えたこと(の一部)をつらつら書き連ねてみます。
(1)都市組織論の理論的背景について。ヴェネツィアでのムラトーリ Saverio MURATORI スクールの研究で明確に姿を現し、それがブドン Francoiese BOUDON らによるパリのレ・アール地区の復元研究(70年代)においてフランスへ導入された。アナール学派とも接続しており、全体史的な眼と、長期の持続への関心を含む。松本先生はブドンに師事して隣のボンヌ・ヌーヴェル地区+マイユ地区の都市組織の変遷(再編+重層化の歴史過程)を明らかにした。
(2)なるほどー。都市組織論はアナールともクロスするのか。ブドンのいう都市における長期の持続って何だろう。(a) 単純にいえば、「組織」という見方で深層の集合的無意識、不可視の論理をあぶり出し、それこそが表層の変化より強い持続性をもつんだっていう理屈だろう。(b) ぐいと物(モノ)側に寄せていえば、いったん築かれたものは形態として(編集されつつ)残り続けるという理屈もありうる。(パリじゃないけど)円形闘技場が住宅群に転用されるケースなんか例として分かりやすい(黒田泰介『ルッカ一八三八』アセテート。(c) あらゆる組織体(生物とか)は自己を維持するために自己を変化させていく仕組みだという観点からすれば、変化の仕組みや傾きこそがその組織体の固有性であり、(表層的な形態の変化にもかかわらず)長い持続性を持つように出来ているはずだという理屈もありうる。任意の時点での都市組織の状態は変化の派生物にすぎないと捉え返される。長期の持続については、たぶん以上の3つくらいのスタンスを意識すれば具体的に議論を進めていけそうだ。
 このうち(c)の“変化の傾き”ってことだが、これはつまり見かけの変化(ある時点での形態Fと次の時点での形態F'とをつなぐグラフ=関数)を微分して求められる高次の関数なわけで、つまり組織が再編(再組織化)される局面に眼を貼りつけるようにして観察するときに浮かび上がる。実際、変化=動きにおいてこそ、その動きを可能にし、かつ拘束する何かが見えるようになる。それは端的には土地・建物の物的・法的・社会的構成の相互関係が顕在化するということだ。
 松本先生もたぶんこういう3つの見方を組み合わせながらパリを見ておられるのではないかと想像する。僕の場合、むかし地誌的定数 topo-graphical constant と位相的定数 topo-logical constant という言い方をしたことがあるのだが青井哲人『彰化一九〇六』アセテート、前者が物的な持続を、後者が傾きの持続だと再解釈できる。うん、かなりクリアになったと思う。
(3)土地・建物の物的・法的・社会的構成が変われば、それが可能にし拘束する変化の傾きも変わりうる。資本主義社会では、傾きを大きくしようとする。法制度も都市組織論のレベルで再考することもできる。
(4)ムラトーリが都市組織 tessuto urbano という言葉を使いはじめたのがどの時点なのか定かではないが、都市や建築のデザインをそれが介入する都市の固有の組織に関連づけようとした実践的な都市研究は第二次世界大戦後の1940年代後半には着手されており、1950年代にはかなり理論的枠組みも醸成していた可能性があるが(要調査)、明確には1960年頃だろうか。
 現実に資本主義が従来とは異質な変化の傾きを求めるようになったとき、ムラトーリはそれに抵抗できる時間論を組み立てようとしたのだろう。日本では60年代にむしろ現実の要請する傾きをサポートできる理論モデルが風靡したメタボリズム
 一方で研究会で門脇耕三先生が指摘しておられたようにオランダのハブラーケン Nicholas John HABRAKEN が、インフィル/サポート/ティシューという三層のハウジング理論を1960年代に提出している。日本ではティシューの層はあまり注目されないけど(実態としてほとんど実効性が見いだせないためか)、これも都市組織のことであって、前に安藤正雄先生も彼の議論は実際の都市の観察から導出されたと言っておられた。
 アメリカのアレグザンダー Christopher ALEXANDER 、ジェイコブス Jane JACOBS なんかも含めて、都市の「形態×時間」論(dynamic morphology とでもいうのかな)に取り組むさまざまなスクールが60年代には世界的に形成されていた。人物、理論の相関関係をマッピングする復元作業も重要な仕事になるんじゃないか。今ならまだ出来る。
(5)ところでパリの地籍図はすごい。壁の厚み、その両側で土地所有者が同一か異なるか、壁はそもそも共有か、各々の壁が二枚接着しているのか、などなどが記号的に表現されているのだ。さらに、建物1階の平面図が描き込まれている。ちょっと経験を積めば、ほとんど地籍図だけで建物の構造やサーキュレーション+空間構成も容易に想像できるようになるに違いない。
(6)オスマン Georges Eugene HAUSSMANN のパリ改造は「外科手術」(それも相当に権威主義的で既存都市へのリスペクトなしの)として一方的に糾弾されがちだが、プレ・オスマン期の道路開削もあるし、ポスト・オスマン期にもやや様相を変えて都市改造は続いている。都市組織への介入の手付きも、台湾のように切断・放置型で土地所有者が残った地片の扱いを(どんなに小さくとも、どんなに不整形でも)何とか工夫せざるをえない、というような状況とは違って基本的に政府のコントロール下にあったが、それなりに丁寧で繊細なものであった。松本先生のお話でパリ大改造のイメージがかなり変わった。解像度が上がれば、変化はそれを可能にし拘束する諸条件とともにあったことが見えてくるのである。

松本先生の主な著作:
CiNii参照・・・とくにレオミュール通りをめぐる3編のシリーズがお勧め。
シリーズ都市・建築・歴史 第6巻でもレオミュール通りの議論が読めます。