建築雑誌2011年11月号届く。特集 Designing Nation, People and Land: vol.1 Tohoku as Archives

kj201111中谷編集委員会に客分の編集担当として参加させていただいた建築雑誌11月号が届いた。11-12月号の連続特集「国・人・土のデザイン」の前編として、まず「蓄積に学ぶ」こと、そして「震災をアーカイビングする」ことをとりあげている。巻頭の赤坂憲雄インタビュー、そして石巻気仙沼文化財の現場に携わる人々への取材記事「ルポ 地域の蔵がなくなる」、Googleデジタルアーカイブプロジェクトに関する同社担当者への取材記事などワイドレンジ。是非広くお読みいただきたい。
巻頭にはまた明治大学建築史・建築論研究室(青井+石榑)作成の「対照マップ:津波被災地の100年前と今」が折り込みで入っている。第1部には、先日研究会にもお呼びした中島直人さんの渾身の論考「計画遺産のアーカイビング 三陸地方の復興計画史からの展望」および青井の「事後のアーカイビング:山口弥一郎に学ぶ」も掲載。

勝手ながら、編集後記に私が書いた文を転載させていただく。
「本特集には多数のアーキビストが登場する。いや、人はみなアーキビストなのではないかと読後に思う。あるいは、人が他者と関係するとき、集団をなすときにそうなるのかもしれない。ところで、都市も村も、自然の資源や地形やその関係性を鋭敏に読み取る能力をもった人々が、そこに欲望と活動を投じることで出来ており、土地と建物の織物がその決して美しいばかりではない集団の仕組みを反映して実体化している。制度や計画もそうした地べたのメカニズムに届くものでなければ実効性を持たない(11・12月号の特集タイトルは「国・人・土」であった)。地べたは強い。簡単には消せない。去る9月初旬に訪ねた宮城県北端の只越(現気仙沼市唐桑町)で、津波に流された整然たる宅地を実測すると1ロットが正確に5間×20間であり、背筋がぞっとした。それは紛れもなく明治三陸津波後、今から百十年ほど前につくられた移転集落のロットだったからである。その集落が昭和三陸津波で流された後も再び宅地化し、今回また流されたのであるが、実測したロットの斜向いではすでに同型の土地に店舗が立ち上がっていた。この連鎖と循環をどう見るかは容易な問題ではないが、そこに地べたの強い磁場が働いていることは確かであり、それを見ない議論は空論になりかねない。集落は動かし難いものだと言いたいのでは必ずしもない。実際、只越も百十年前に新しい地べたをつくるために旧地から動いたのだし、昭和の津波では多数の高所移転が行われた。だが、それもまた集団にとって重要な何かを引き継ぐためであったに違いない。人が過去と今を記録するアーキビストたらざるをえない理由は、私たちの社会そのものにあるのではないか。(青井哲人)」