マンモス

20111031 Mon. 前日のフットサルの疲れが脚に来た。非常勤で通っている武蔵野美術大は「芸祭」(正確には芸術祭だと思う)のため授業なし。夜は彰国社で本の打合せ。久しぶりに旧友に会う。
翌1101 Tue. ダメージ全身に及ぶ。筋肉が硬くなっているせいか夜は終わりのない長編悪夢を見た。ああ11月。NHKの朝ドラ「カーネーション」(ごっつおもろい)を見て、さあ出かけようとスケジュール(iCal)を確認したら創立記念日ではないか。おお神様からの贈り物! いや明治大学創立者の3先生ほんまおおきに。というわけで漁港関係の本をだーっと斜め読み。まずはI君が教えてくれた『岩手県漁港三十年史』(岩手県林業水産部漁港課、1982)。つづいて大泉幸作『漁港論』(社団法人漁港協会、1950)。大泉幸作は1918年から国の漁港行政を担当してきたベテラン(当時)で、1950年は漁港法制定という節目の年。最後に釜澤勲『三陸漁村の研究』(高山書店、1951)は途中まで。流れに任せて関連本を日本の古本屋で3冊ポチッ。
先週末に読みはじめた吉田伸之『巨大城下町江戸の分節構造』(山川出版社、1999)も熟読とはいかぬがほぼ読み終える。江戸は城下町一般の構造を持ちながら同時にマンモスのごとき異様な生き物なのである。

前近代日本の歴史のうえで、空前のスケールに達した巨大都市・江戸。この都市は、単に近世社会の創造物であるばかりでなく、そこには前近代日本の歴史過程でうみ出されたさまざまな諸要素がなげこまれ、高温のなかで煮えたぎる、坩堝のような構造物でもあった。この巨大な構造物を、巨象のマンモスにでもたとえてみると、大きいけれどもそれほど出来のよいとはいえない脳と中枢神経系をはじめ、大量の皮下脂肪、さらには無用の武器と化した牙やたるんできた外皮など、体重の過半、体積の八〇%を占めるのは、幕藩領主や武士団、またそれらに寄生する大寺社であるということができる。ところがその巨体に栄養を与え、活力をふきこみ、これを作動させ維持するための諸器官   筋骨や内蔵、循環器など   の大半は、町方と総称される町人地の社会によって担われているのである。(p.112-113)

本書では本町1丁目、麹町2丁目、日本橋本舟町の魚河岸、浅草寺界隈などなどが舞台だが、個人的には四谷麹町のところがとくに力強くて印象に残る。マンモスの巨体へのパースペクティブが、左脇腹あたり?のわずかな断片的な生体組織(都市-内-社会)の分析を通して展開されているような感じかな。重要な図表はスキャンしてKeynoteに貼付け、再来週くらいの授業(大学院の都市史特論)で使えるようにした。ちょっとよい日だったな今日は。ユニクロで靴下も買ったし。