ホーチミン市・華人街チョロンの里弄型住宅地

R0019526ホーチミン市は、古くは漁村集落を起源とするが、クメール人が進出してカンボジアが優越した時代もあったものの17世紀初期からベトナム人移住が進行し、1698年には阮朝ベトナム人統治機構を樹立。1790年にボーヴァン式城塞を築き「嘉定城」と称した(フエの城塞は1805年からの建設で形態は異なる)。これがサイゴンで、その西に運河で接続されて形成された華人主体の街はチョロンと呼ばれる。1859年にはフランスに占領され、以後計画的な都市開発が進められた。
フランス時代以前にすでにチョロンの華人集落はあったが、植民地期以降のグリッド状の街路網整備とそこに充填される里弄型住宅地の開発によってたぶんすっかりつくりかえられたのだろう。大田省一さんによるとかつての都市組織は大幅に再編されてしまったようで、住宅開発は民間によるものであったようだ。写真は昨日訪ねた里弄型パッケージがよく残る例。

R0019145里弄型宅地の正面、ショップハウスのファサード。9間の中央間地上階が巷(路地)となっており、ここから入って階段を道路側へ向かってのぼると二階面路部のベランダ・ウェイへ出て各戸へアクセスできる。1層の階高が4mほどあるので初層・上層とも、造作によって内部を二分するもうひとつの床をつくり、二層にして使っている。ただし入口を入ったところのホール(客庁)は吹き抜けとし、神卓を置き、左右いずれかの壁に寄せて階段をつくる。寝室は、元来の床レベルにもあるが、主として造作による床のレベルが用いられ、ベッドを使うこともあるが、床上にそのままごろ寝する人も多いようだ。

R0019155上記の巷(路地)をそのまま奥へ入ってゆくと平屋もしくは二層の背割型の住宅が高密にひしめく。ほとんど皆さん嫌がらずに家にも入れてくださいました。普通語(北京語)、泉州語(閩南語)、英語を地区や住人によって使い分けながらある程度の聞き取りも行うことができ、ホーチミンの都市型住宅の一般的な形式と生活が(あくまで概要ですが)分かったように思います。

(追記)翌日は旧サイゴン側の地上げに悲鳴を上げるショップハウス群の一部を見てきました。チョロンよりも開発圧力が高く、生活水準も厳しいようです。