さるお方から拝借して『風声』『燎』を読む:1976年・何が終わったのか。

風声同人は当初7名。前川國男白井晟一・大江宏・岩本博行・武者英二・神代雄一郎・宮内嘉久。雑誌『風声(ふうせい)』(1976〜86、全20号)を出した。白井、つづいて前川が亡くなった翌年から大谷幸夫・永田祐三が加わり、誌名を『燎(かがりび)』(87〜95、全26号)とした。編集は宮内嘉久編集事務所。1976年というのは建築批評にとって重大な意味を持つ年だった。その頃、批評精神というものが明らかに力を失い、あるいは、おそらくより正確に言うならば戦後的な意味での批評精神が有効であるような建築生産体制と職能構成が終わってしまった。その「終わり」を、しかし独自の根拠に依りつつ冷静に見届けつつも苛立ち、かつ、何とか批評を再生したいのだが自らの批評が抱え込む基盤の分厚さを持て余してしまう、というような同人らの姿を僕はこれら二誌を読みながら感じた。とりわけ同人誌という形式を選択したことの意味、そして大江宏と神代雄一郎が堀口捨巳を介して響き合う日本意匠論の世界に。分厚さ、と仮に書いたのは、「いま・ここ」と、それを批判する根拠となる「過去」や「異境」との距離の大きさみたいなものかもしれない。これらの雑誌を読むと、戦前から現在へとつながる建築史の脈絡の重層性が同時に発見され、さまざまなものが相対化されてくる気がする。と同時に、やはりなぜ同人誌だったのだろうかと・・・。