「早い歴史化」を迫ったものは何か

本多昭一『近代日本建築運動史』(ドメス出版、2003)を読む。重要な資料が豊富に紹介されておりたいへん勉強になった。ただ、著者は大学闘争後「新建」の運動当事者で、随所で丁寧な批判的検証がなされた好著であることは間違いないのだが、本書全体としては、“進歩的建築家”の運動組織の正統的な系譜上に「新建」を位置づけるような歴史観を下敷きにしていることは否めない。具体的には、創宇社(1923)を前史とし、新興建築家聯盟(1930)、さらに戦後のNAU(新日本建築家集団、1947)、新建(新建築家技術者集団、1970)とつながってゆく「系譜」的な時間である。しかし同時に、創宇社が関東大震災の、そしてNAUが第二次世界大戦の直後に成立しており、そこにある種の「反復」を見るような時間感覚がもう一方にある。
そのことに関連して、NAUの歴史部会が主催したという連続講座「建築運動史講座」は、以前から知られてきたものではあるが、あらためて興味を引かれた。1949年10月から12月にかけて、毎週金曜日、明治大学建築学教室とか日本大学製図室を会場として行われたもので、参加費は全回通し券なら300円、「毎回資料配布幻灯使用」という力の入った企画だった。内容はまとめて相模書房から書籍化する計画だったようだが残念ながら実現せず、それどころか『NAU News』や『NAUM』でも活字化されていない。以下プログラムの全体像。

建築運動史講座 1949年 ()内=講師
1 10月14日 総論(高山英華・関野克)
2 10月21日 分離派建築會(堀口捨巳・山田守・山口文象)
3 10月28日 創宇社・メテオールマヴォー・ラトー(今井兼次・海老原一郎・今泉善一)
4 11月4日 新興建築家聯盟(市浦健・土浦亀城・図師嘉彦)
5 11月11日 日本インターナショナル建築会(蔵田周忠・新名種夫・中尾保)
6 11月18日 青年建築家聯盟・建築科学・青年建築家クラブ・DEZAM(西山夘三・高井末吉・竹村新太郎・高橋壽男)
7 11月25日 日本工作文化聯盟(小坂秀雄・森田茂介)
8 12月2日 民主建築會・建築文化聯盟その他(平松義彦・丹下健三
9 12月9日 新日本建築家集団(池辺陽・清田文永)
10 12月16日 結論および座談会(高山英華ほか各講師)

すごい。活字にならなかったのが本当に残念・・・なのだがそれはともかく、僕が重要だと思うのは、戦中期の「空白」と「終戦・占領」とによって、戦後の近代建築運動は一度目は失敗したものをやり直すというような時間感覚のもとで出発したように見えること。1920年からの建築運動の歩みが「建築運動史」として歴史化していることは(まあ30年近く経つのだから当然という気もしないではないが)やはり「早い」という印象は強いし、連続講座の第8・9回は戦後なのだから普通なら歴史化できるような過去ではないが、それを含めて歴史化を迫られていたように見えるのである。
たぶん終戦を節目として、社会や政治も、文化や学問も、あるいは都市空間すらも反復的(循環的)な時間を描き始めた(と観念された)のではないか。だから1920〜30年頃を起点とする歴史が早くも描かれたのだろうし、描かれねばならなかったのだろう。自分たちが戦前と同じでなく、もう一段高いスパイラルを行くのだということを裏付けるために。ゆえに「繰り返しではなかったか」と問う批判の形式もまたこれと同時にセットされてしまったと考えることができる。
産業資本主義的・大衆消費的な社会経済の編成が出来上がっていくとされるのが1920〜30年代。このころ建築の生産体制や職能に生じた矛盾を解決しようとした運動が戦争で御破算になるわけで、戦後のゼロ地点でも、遅かれ早かれ1920〜30年頃の水準に追いついたとき戦前とは違う解法を示せなければだめだという判断があってもおかしくない。もっとも経済の復興は予想を超えて早く、かつ飛躍的に成長してしまい、60年代にはもはや戦前の経験では何も解けなくなる事態に立ち至ったと思われる。だから、劇的に組み変わってしまった生産体制に「乗っかる」ことを選んだ人を指して、戦中期と同じ「転向」という論理で批判するのが適切かどうかは慎重に考えた方がよいだろう。すでに述べたように、「転向が繰り返される」という批判の形式そのものがNAU=戦後的時空間の産物かもしれないからだ。
いずれにせよ、上記の「早い歴史化」を迫る時間感覚には興味を引かれる。あれは何なのだろう。